
大慈清水御休み処
格子の表構えが美しい明治期の盛岡町家。町家カフェ、ギャラリーも併設。展示会や教室などのスペース利用(有料)もできる。見学無料。
- 「仙北町駅」から徒歩14分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
格子の表構えが美しい明治期の盛岡町家。町家カフェ、ギャラリーも併設。展示会や教室などのスペース利用(有料)もできる。見学無料。
かつて宮沢賢治も訪れたという、大正10年(1921)に建築された緯度観測所旧本館(登録有形文化財)を、奥州宇宙遊学館として公開している。宇宙について学べる4次元デジタル宇宙シアターは、国立天文台で開発されたもの。最新技術で壮大な宇宙を体感できる。『風野又三郎』や『銀河鉄道の夜』など、作品誕生のきっかけとなった当時の天体観測の道具類や、賢治と緯度観測所の関係についての展示もある。
北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵上に位置する城跡公園。盛岡城は、盛岡藩初代藩主・南部信直が築城を開始し、寛永10年(1633)に完成。明治39年(1906)に近代公園として整備され、「岩手公園」として開園した。国指定史跡である盛岡城跡の本丸、二ノ丸、三ノ丸、淡路丸などの曲輪を配した城内には、数多くのあづまやや歌碑・石碑が配され、桜や梅、イロハモミジ、藤棚、アジサイなど、さまざまな植物が四季を彩る。なかでも、盛岡産の花崗岩を積み上げた壮大な石垣は圧巻で、「日本100名城」にも選定されている。
昭和天皇のご成婚を記念して建築され、昭和2年(1927)に完成した。東京都の日比谷公会堂や早稲田大学大隈記念講堂で有名な佐藤功一氏が設計しており、外壁をスクラッチタイル張りにしたモダンな造りは当時も注目を集めた。平成18年(2006)に国の登録有形文化財として登録され、また、平成25年(2013)に盛岡市の都市景観賞を受賞した。庭園には盛岡出身で「平民宰相」として有名な原敬の胸像(本山白雲作)が設置されている。現在は、会議・習い事教室・イベントなどに、会議室・大ホールを貸し出している。
幕末の蘭学者・高野長英が幼少の頃過ごしていた旧宅。国指定史跡。明治9年(1876)に改装され、2階があげられているが、主座敷(8畳)と次座敷(6畳)の2室は、当時のまま保存されている。外観は自由見学可。主座敷と次座敷の見学は、5名以上で1週間以上前に電話予約必要。予約先:奥州市武家住宅資料館0197-22-5642。
日本初の高等農林学校として明治35年(1902)に開校した旧盛岡高等農林学校。岩手大学農学部附属植物園の緑に囲まれた旧本館校舎は、大正元年(1912)に建てられたもので、木造2階建ての欧風建築は国の重要文化財に指定されている。館内は資料館として公開され、農業に関する学術的な資料や文献などを見ることができ、また、6年間ここで学んだ宮沢賢治に関する資料も展示されている。
東京で処女詩集『あこがれ』を出版した後の明治38年(1905)6月に、石川啄木と妻節子が結婚生活を始めた家。両親、妹が同居する暮らしは窮迫し、わずか3週間で転居したが、ここでの生活ぶりは随筆『我が四畳半』に記されている。木造平屋建ての家は、藩政時代には中級武士の住む武家屋敷だったもので、盛岡市指定有形文化財だ。内部は啄木が住んでいた当時のままに保存され、啄木の文机や書、節子が愛用した琴などを展示されている。
盛岡出身の実業家・瀬川安五郎が明治18年(1885)頃に建てた邸宅・庭園。130年余りの間に所有者が変わるなかで、当時の姿のまま継承されている。名園は国の登録記念物・盛岡市の保護庭園に、邸宅は同市の保存建造物に指定。1100坪の敷地内に、風情あふれる池や茶室が配されている。また、作品展やイベントの会場としても活用され、抹茶420円やコーヒー420円も飲める。
盛岡八幡宮の南、焼失した宗龍寺跡にできた羅漢公園に安山岩を丸彫りした石仏が21体ある。16体の羅漢と5体の五智如来がコの字型に並ぶ。江戸時代後期の天明、天保などの大飢饉で亡くなった人々を供養するため、嘉永2年(1849)に造られた。
宮沢賢治が教鞭をとっていたころの花巻農学校の跡地にある公園。『風の又三郎』の一場面を題材にした黒御影石の彫刻が立ち、賢治が好きだったぎんどろの木が植えられている。車で来館の場合は花巻市文化会館駐車場(約400台収容)が利用できる。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。