毛越寺庭園
毛越寺境内に2代藤原基衡が造園した、日本最古の浄土庭園。州浜や築山、出島石組と池中立石が配された大泉ケ池を中心に、浄土を地上に表現したといわれる。平安時代の作庭様式を伝える貴重な遺構の遣水は、池に水を取り入れるための水路。玉石を底に敷きつめ、水の曲がり角や池への注ぎ口には石組みが配されている。毎年5月第4日曜、平安貴族の装束をまとった歌人たちが遣水に盃を流し、和歌を詠む曲水の宴が優雅に行われる。国特別史跡、特別名勝。世界遺産。
- 「平泉駅」から徒歩15分
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毛越寺境内に2代藤原基衡が造園した、日本最古の浄土庭園。州浜や築山、出島石組と池中立石が配された大泉ケ池を中心に、浄土を地上に表現したといわれる。平安時代の作庭様式を伝える貴重な遺構の遣水は、池に水を取り入れるための水路。玉石を底に敷きつめ、水の曲がり角や池への注ぎ口には石組みが配されている。毎年5月第4日曜、平安貴族の装束をまとった歌人たちが遣水に盃を流し、和歌を詠む曲水の宴が優雅に行われる。国特別史跡、特別名勝。世界遺産。
幕末の蘭学者・高野長英が幼少の頃過ごしていた旧宅。国指定史跡。明治9年(1876)に改装され、2階があげられているが、主座敷(8畳)と次座敷(6畳)の2室は、当時のまま保存されている。外観は自由見学可。主座敷と次座敷の見学は、5名以上で1週間以上前に電話予約必要。予約先:奥州市武家住宅資料館0197-22-5642。
かつて宮沢賢治も訪れたという、大正10年(1921)に建築された緯度観測所旧本館(登録有形文化財)を、奥州宇宙遊学館として公開している。宇宙について学べる4次元デジタル宇宙シアターは、国立天文台で開発されたもの。最新技術で壮大な宇宙を体感できる。『風野又三郎』や『銀河鉄道の夜』など、作品誕生のきっかけとなった当時の天体観測の道具類や、賢治と緯度観測所の関係についての展示もある。
藤原基衡[もとひら]の妻が建立した寺院跡。境域は東西120m、南北約180mで西域に土塁の一部が残る。浄土庭園には大・小の阿弥陀堂が建っていた。現在ではその跡に発掘に基づいて舞鶴ケ池が復元され、史跡公園として整備されており、憩い場として親しまれている。
藤原秀衡[ひでひら]が京都・宇治の平等院鳳凰堂にならって建てたという寺院の跡。平等院よりも大きかったと言われるが、火災で消失してしまった。ここから中尊寺へ向う前に4~5分東へ道をそれると、奥州藤原氏時代の政庁であった平泉館跡といわれる柳之御所遺跡(史跡)[やなぎのごしょいせき]がある。
国府多賀城の南東約1kmに位置し、多賀城の付属寺院として建立されたといわれている。伽藍配置は太宰府(福岡県)の観世音寺に類似している。寺院の名称は不明だが、昭和58年(1983)に出土した土器の墨書きから、「観音寺」ではないかといわれている。
江戸時代に建てられた蔵の中に、なつかしいおもちゃや人形が所狭しと並ぶ。同敷地内の別館では「ひなまつり展」「5月人形展」「昭和レトロ展」などの企画展と50数体の市松人形のコレクションが見られる。
伊達政宗公が豊臣秀吉から拝領した伏見桃山城の一棟を、2代藩主忠宗公が江戸より移築したもの。歴代藩主が納涼・観月の場とした観瀾亭は「月見御殿」とも呼ばれており、秋には毎年お月見会を開催。室内の極彩色の障壁画は重要文化財に指定されている。
多賀城南門跡のすぐ近くに立つ。高さ約2m(地上部分)、最大幅103cmの奈良時代の石碑で、当時の主要な国界から多賀城までの距離、大野東人[おおののあずまひと]が多賀城を創建したことなどが刻まれている。群馬県多胡碑[たごひ]、栃木県那須国造碑[なすのくにのみやつこのひ]とともに、日本三古碑の一つに数えられる。国の重要文化財に指定されているほか、日本遺産にも認定されている。
紙問屋や雑貨商などを営んでいた豪商・渡辺家の屋敷。土蔵造の店蔵は明治中期、母屋と金庫蔵は大正12年(1923)に建てられたもので、和洋折衷の造りが特徴。なかでも、玄関欄間のベネチアンガラスや店蔵の棚階段は見もの。
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