
首里城公園 漏刻門
首里城の城郭内へ入る第一の正門・歓会門から入って2つ目、首里城第三の門。かつて、門の上の櫓に水槽を設置し、その水槽の水が漏れる量で時間を計ったことから、その名がある。右掖門[うえきもん]の大鐘で城内外に知らされる時刻はここで計られたものだったという。「かご居せ御門[かごいせうじょう]」とも呼ばれ、駕籠の使用を許されていた高官も、国王に敬意を表し、この門からは駕籠を降り歩いたと伝えられる。
- 「首里駅」から徒歩12分/「儀保駅」から徒歩14分
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首里城の城郭内へ入る第一の正門・歓会門から入って2つ目、首里城第三の門。かつて、門の上の櫓に水槽を設置し、その水槽の水が漏れる量で時間を計ったことから、その名がある。右掖門[うえきもん]の大鐘で城内外に知らされる時刻はここで計られたものだったという。「かご居せ御門[かごいせうじょう]」とも呼ばれ、駕籠の使用を許されていた高官も、国王に敬意を表し、この門からは駕籠を降り歩いたと伝えられる。
首里城公園の北、円鑑池周辺の一角に架かる龍淵橋の奥に広がるのが龍潭。この大きな池は尚巴志王時代の応永34年(1427)、冊封使を歓待するために造られたもの。池のほとりの花と、水面に映る首里城を眺め、爬龍船を浮かべてハーリー船競漕を楽しんでいたという往時が偲ばれる。2026年秋の首里城正殿完成を目指し、復元工事の様子を公開する「見せる復興」をテーマに通常開園している。
那覇市の中心部に隣接する公園で、開園当初から「デゴイチ(D51形蒸気機関車)」が設置されるなど、子どもたちに人気の公園。また、那覇市の桜カンヒザクラ(寒緋桜)の名所としても知られている。
首里城(世界遺産・史跡)正殿に入る最後の門で、御庭[うなー]を挟んで正殿前に建っていた。3つの入口を持ち、北側は薬や茶煙草を取り扱う部屋、南側は城内での儀式のとき等に使われた。中央の門は国王や中国からの冊封使[さっぽうし]等限られた身分の高い人だけが通れる門で、それ以外の役人は、両側の門を使用したといわれる。現在は有料区域の改札所となっており、開門を告げる朝の儀式「御開門[うけーじょー]」を見ることができる。
円鑑池は尚真王代の1502年に造られた人工池。池には弁財天堂のある中之島に琉球石灰岩の切石が積まれた天女橋(国指定重要文化財)と呼ばれる橋が架かっている。弁財天堂は、1502年に朝鮮国王から贈られた方冊蔵経[ほうさつぞうきょう]を納めるための経堂だったが、尚寧王代の1609年の薩摩藩侵入で蔵経が焼失。円覚寺にあった弁財天像を安置したことから弁財天堂の名が付いたという。沖縄戦で破壊され、現在の弁財天堂は昭和43年(1968)に復元されたもの。
琉球王朝時代から深い関わりを持ち、琉球文化に多大な影響を与えた中国・福州市と那覇市との友好都市締結10周年を記念し造られた中国式庭園。緑豊かな園内には、池を囲んで福州を代表する景勝地や福州独特の建築物が配置されている。
沖縄を交易や布教の目的などで訪れ、この地で没した外国人の眠る墓石が芝生の中に整然と並ぶ。墓地の一角には、嘉永6年(1853)の浦賀来航の3カ月前にこの地を訪れていたペリー提督の上陸記念碑が立っている。
那覇港と那覇泊港の間、海岸沿いの断崖上に立つ琉球八社の一つで、最上位に位置する。熊野三所権現を祀り、琉球王朝時代から海上交通の安全、豊漁、豊穣などの信仰を集め、篤い尊崇を受けてきた。市民からは「なんみんさん」の名でもよび親しまれ、お正月や節分、5月17日の例大祭は多くの参拝者で賑わう。
那覇市内唯一のビーチで、地元客も気軽に利用している。空港にも近く、帰りにひと泳ぎしていく観光客の姿も。売店が営業。ビーチグッズの販売やバーベキューの予約を受け付けている。遊泳期間は4~10月。
予約なしで見学できる展示室には、歴史展示と業務展示に分かれており、歴史展示では、沖縄県における琉球王朝時代からの通貨の歴史をパネルで案内している。また、鳩目銭[はとめせん]や琉球通宝、B円といった沖縄ゆかりの通貨・紙幣を展示している。業務展示では、日本銀行那覇支店の業務内容をわかりやすく解説。また、40十束封(1万円札を40万枚〈40億円〉まとめたもの)の模擬券をみることができるほか、十束封(模擬券1億円)の重量体験、銀行券の偽造防止技術についても知ることができる。
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