
円満地公園オートキャンプ場
周辺に棚田や茶畑のあるのどかな環境。施設内には、ウォータースライダー付のプールがあり子供連れのファミリーも楽しむことができるキャンプ場。世界遺産の熊野古道やラムサール条約に登録された串本の美しい海にも好アクセス。コテージ、ログハウスはペット入室可(一部不可)。
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周辺に棚田や茶畑のあるのどかな環境。施設内には、ウォータースライダー付のプールがあり子供連れのファミリーも楽しむことができるキャンプ場。世界遺産の熊野古道やラムサール条約に登録された串本の美しい海にも好アクセス。コテージ、ログハウスはペット入室可(一部不可)。
南紀勝浦温泉の「海のホテル一の滝」でも、日帰り入浴が可能だ。男女別大浴場の浴槽は2槽式で、1槽は源泉そのまま(ぬるい湯)、もう1槽は源泉を少し加熱したもの(温かい湯)。2槽とも、水一滴加えない源泉かけ流し仕様だ。シャワーも温泉を使用している。
熊野那智連峰妙法山の南方斜面に位置する山小屋風の農家民泊施設。幾重にも連なる山々と、その先に広がる熊野灘を望むゆったりとした自然の中で心身をリフレッシュすることができる。熊野古道散策、山菜採り、茶摘み、ブルーベリー摘み取り、昆虫採集、森林浴のほか、夕日に染まる空と山並み、夜空にきらめく星座などを通して四季折々の自然を体験できる。
JR紀伊勝浦駅前のロータリーにあり、電車待ちなど時間調整に便利な足湯施設。浴槽には那智黒石が敷き詰められている。
那智四十八滝のなかの一の滝を那智の滝とよぶ。高さ133m、幅13mもある大瀑布で、国の名勝。勝浦の海上や那智山へ向かう山道から見えることも。滝壺近くへは那智山上にある飛瀧神社の鳥居をくぐって、老杉に囲まれた石段を降りていく。やがて、轟音とともに、切り立った崖から純白の布を垂らしたように落下する滝が現れる。滝の背後には那智の原始林(天然記念物)が広がり、暖地性の植物を中心に300種に及ぶ植物の宝庫となっている。
故郷を愛し続けた作家・詩人の佐藤春夫は、望郷詩人と称された。この『秋刀魚[さんま]の歌』は、大正10年(1921)に発表した代表作。「あわれ秋風よ 情あらば伝えてよ……さんま、さんま そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて、さんまを食ふはその男がふる里のならひなり」と刻まれている。親友である作家谷崎潤一郎の夫人であった千代と再婚したときの心情を歌ったものだ。碑は旧国鉄紀勢本線開通の昭和34年(1959)に建立された。
本宮、速玉とともに熊野三山の一つ。みやげ店が並ぶ石段を上りきると道が左右に分かれ、右は青岸渡寺、左に行くと熊野那智大社に着く。南向きの朱塗りの拝殿の後ろに独特な熊野権現造の社殿5棟(重要文化財)と、その脇に、8神を合わせ祀る八社殿が東向きに立つ。天正9年(1581)、織田信長によって焼き討ちにあうが、豊臣秀頼が再建した。熊野夫須美大神[くまのふすみのおおかみ]を主祭神として、飛瀧権現をも加え、13柱の神々を祀り、あらゆる願いを叶えてくれる諸願成就の御利益があるといわれている。境内には推定樹齢850年、平重盛の手植えと伝えられる樟の巨木が大きな枝を広げている。
那智熊野大社と並んでたたずむ、西国三十三カ所第1番札所。補陀洛山寺[ふくだらくさんじ]と同様、裸形[らぎょう]上人が開いたといわれ、熊野詣の重要拠点として栄えた。織田信長の兵火で焼失するが、天正18年(1590)豊臣秀吉が再建。最盛時には7カ寺36坊を有したが、明治時代の廃仏毀釈[はいぶつきしゃく]で入母屋造の本堂(重要文化財)を残して、ほとんどが失われてしまった。本堂と那智滝の中間に立つ高さ25mの朱塗りの三重塔は、昭和47年(1972)に再建され、三層の展望台からは那智の滝の全貌を望むことができる。
熊野那智大社境内に立ち、展示品は国の重要文化財の金銀装宝剣拵[こしらえ]、飛鳥時代の古銅印のほか、熊野那智大社関係文書や那智山宮曼荼羅、那智経塚からの出土品など多彩。熊野信仰の歴史を知る上で貴重な資料ばかりだ。
大門坂茶屋では平安貴族の衣装を貸し出して、ひととき古にタイムスリップさせてくれる。旅先だからこそ楽しめる本場の非日常な体験。2時間まで3000円、3時間まで4500円、以降20分毎に500円。
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