亀石
橘寺の西約600mの路傍にある大きな花崗岩の石。亀がうずくまったような形をしているため、昔から亀石と呼ばれている。現在は南西を向いているが、西を向くと葛城地域が洪水に沈むという伝説がある。
- 「飛鳥駅」から徒歩24分/「岡寺駅」から徒歩25分
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橘寺の西約600mの路傍にある大きな花崗岩の石。亀がうずくまったような形をしているため、昔から亀石と呼ばれている。現在は南西を向いているが、西を向くと葛城地域が洪水に沈むという伝説がある。
飛鳥寺の南東、丘陵上にある長さ5.4m、最大幅2.3mの扁平な巨石。花崗岩を加工したもので、表面には円や楕円と、それらを結ぶ細い溝が彫り込まれている。酒や油を絞るための道具や庭園施設など、さまざまな説があるが、今も定かではない。国の史跡に指定されており、平成の発掘調査では、周辺で階段状の石垣や砂岩でできた湧水設備、小判形や亀形の石造物なども発見されている。
天武天皇・持統天皇陵の南西にある長さ2.7m、幅1.9m、地表からの厚さ70cmの石造物。その昔、旅人を捕らえては食ってしまう鬼がおり、そのまな板だったとの伝説が残る。実際は、7世紀中頃に造られた石槨の底の部分といわれる。道を挟んで鬼の雪隠[せっちん]がある。
平成12年(2000)に発掘された石造の遺構。酒船石のある丘陵下に位置し、亀形と小判形をした鉢状の花崗岩を中心に、階段状の石敷きが広がる。砂岩を積み上げた湧水施設も発見され、水源からの導水構造が判明した唯一の遺跡だ。谷に位置することから祭祀に関わる施設とされる。
明日香村の高松塚に程近い、自然いっぱいのぶどう園。ぶどう狩りが楽しめるほか、大粒の上品な巨峰は、大切な贈り物にも。
全長約140mで、明日香村内最大級の前方後円墳。墳丘の緑と、濠が美しい。570年に死去した欽明天皇と、妃で蘇我馬子の妹の堅塩媛[きたしひめ]を合葬した檜隈坂合陵[ひのくまさかあいのみささぎ]とされている。しかし、出土遺物が築造年代とあわず、北方の丸山古墳を欽明陵とみる説がある。
石舞台古墳から飛鳥川を上流に向かうと両集落が続いている。飛鳥でもひときわのどかな里で、稲渕地区の丘陵東斜面には見事な棚田が広がる。日本の棚田百選にも選ばれた場所だ。9月には付近の道にかかしコンテストの応募作が立ち並び、かかしロードとなる。それぞれの集落の入り口、飛鳥川に掛かる勧請縄も風情がある。稲渕が男綱、栢森が女綱で、子孫繁栄、悪疫退散を祈願。毎年1月に掛け直される。
中大兄皇子[なかのおおえのおうじ](のちの天智天皇)が斉明6年(660)に造った日本初の水時計台跡。発掘調査で、礎石と礎石の間を石で連結させた堅固な建物跡や、導排水管などが発見された。遺構は整備されており、飛鳥資料館で水時計の模型が見られる。
欽明天皇陵の西側、小さな丘にあるのが天智・天武天皇の祖母、吉備姫王[きびひめのみこ]の墓。その柵内に猿石と呼ばれる石造物が4体並んでいる。いずれも人に似たユーモラスな姿をしており、内3体は背面にも顔がある。江戸時代に欽明天皇陵南側の水田から掘り出され、陵内に置かれたものが移されたという。
聖徳太子生誕の地とも、太子建立の7カ寺の一つともいわれる。創建年は推古天皇14年(606)、文献では天武9年(680)に初めて登場する。8世紀には66もの堂塔があったが、現在の本堂、観音堂などは江戸期の再建。室町時代の聖徳太子坐像(重要文化財)などを伝え、境内に残る塔心礎は3つの副柱[そえばしら]の穴をもつ優美なもの。2つの顔が刻まれた二面石もある。除夜の鐘は、毎年12月31日23時から自由に参加し、撞くことができる。
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