
法隆寺 食堂・細殿
法隆寺の大宝蔵院南側にある建物で、様式から天平時代の建立とみられる。正面7間、側面4間、細殿は正面7間、側面2間切妻造の簡素な建物。組物、小屋組などに上代構架技法の特徴をよく伝える。もともと政所という法隆寺の寺務所であったが、平安時代に入り僧が食事をする場所として使われるようになった。堂内に塑造薬師如来像(重要文化財)を安置する。
- 「法隆寺駅」から徒歩25分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
法隆寺の大宝蔵院南側にある建物で、様式から天平時代の建立とみられる。正面7間、側面4間、細殿は正面7間、側面2間切妻造の簡素な建物。組物、小屋組などに上代構架技法の特徴をよく伝える。もともと政所という法隆寺の寺務所であったが、平安時代に入り僧が食事をする場所として使われるようになった。堂内に塑造薬師如来像(重要文化財)を安置する。
御本尊・丈六阿弥陀如来坐像は恵心僧都源信の作と伝えられ、御本尊前にて御祈祷を受けると、長患いなく安らかに極楽往生を遂げることができるという霊験がある。境内の多宝塔と共に国指定重要文化財でもある。
聖徳太子と推古天皇が先帝・用明天皇の遺志を継ぎ、推古15年(607)に創建したという古刹。『日本書紀』には、天智9年(670)に伽藍を焼失したとあり、現伽藍は8世紀初頭までに完成したもので往時の姿を伝えている。境内は西院と東院に分かれ、それぞれ大垣と呼ばれる築地塀(国指定重要文化財)で囲まれている。総門の南大門(国宝)を入ると、現存する世界最古といわれる木造建築群の西院伽藍。法隆寺式伽藍配置で、中門を中央に回廊が巡らされ、内側に金堂と五重塔が立つ(いずれも国宝)。夢殿(国宝)を中心とした東院伽藍は東大門を抜けるとある。
聖徳太子の遺命により岡本宮を山背大兄王[やましろのおおえのおう]が寺に改めたと伝わる。池に美しい姿を映す三重塔(国宝)は706年(慶雲3)の完成で、現存するわが国最古の三重塔。
法隆寺夢殿の北側に立つ建物。鎌倉期の再建で、正面7間のうち東3間が聖徳太子が2歳の春に合掌した掌中から出現したという舎利を安置する舎利殿。中央1間は伝法堂への通路で、西3間が太子の一代記を描いた障壁画をおさめる絵殿。現在、絵殿東面(現在の相殿)に祀られていた太子像(重要文化財)は、大宝蔵院百済観音堂に安置されている。
大和三門跡寺院のひとつ。聖徳太子の母、穴穂部間人[あなほべのはしひと]皇后の御所を寺にしたと伝えられ、斑鳩尼寺とも呼ばれた。創建時以来の尼寺で、天文年間(1532~54)に尊智女王が入寺してからは門跡寺院となった。本堂に安置されている菩薩半跏像(国宝)は飛鳥時代後期の作。右足を組み、右手の指を頬に触れようとする半跏思惟の美しい姿に、気品のある微笑みを浮かべている。聖徳太子の死を悲しむ妃橘大郎女[たちばなのおおいらつめ]が、死後の世界の様子を刺繍させた天寿国繍帳[てんじゅこくしゅうちょう](国宝・複製)も見られる。
東室は法隆寺西院回廊の東側の国宝の僧坊。天平以前の創建とみられ、当初は正面4間・側面18間だったが、保安2年(1121)の改造で南3分の1を改め、聖徳太子を祭る聖霊院とした。現在の建物は、鎌倉時代後期の弘安7年(1284)にやや規模を大きくして新造されたもので国宝。切妻造の前面に付く吹放しの庇[ひさし]、蔀戸[しとみど]など、平安時代の寝殿造の対屋[たいのや]形式を連想させる。内部には3つの厨子があり、中央の厨子には聖徳太子坐像(国宝)を安置。3月下旬の「お会式」で厨子が開帳される。
法隆寺にある世界最古の木造建築物。重層入母屋造本瓦葺きで、2重基壇の上に立つ。初層は裳階[もこし]を付けた正面5間、側面4間であるのに対し、上層は正面4間、側面3間と引き締まった感じを与える。昭和24年(1949)解体修理中に下層が炎上し、白鳳時代に描かれたと推定される壁画が焼損した。インドのアジャンター石窟壁画と並び称されたこの焼損壁画は現在収蔵庫に保存されており、現金堂の壁面は再現である。堂内には聖徳太子の冥福を祈って造られたという止利[とり]仏師作の釈迦三尊像(国宝)を安置。ほかに薬師如来坐像(国宝)、四天王立像(国宝)など10数体の仏像がある。
法隆寺西院伽藍にあり、当初は仏教の学問の研鑽や法要を行う施設として建立された。創建年代は不明であるが、延長3年(925)に雷火で焼失し、正暦元年(990)に元の位置、大きさで再建。入母屋造の本瓦葺きで、屋根の勾配が緩やかで木割は太く、おおらかな手法をもつ。初め正面8間の堂であったが、後世さらに西に1間拡張され、現在の正面9間、側面4間の姿になった。藤原時代初期の遺構としては数少ない大建築で、堂内には講堂再建当時の作とみられる木造薬師三尊像(国宝)や木造四天王像(国指定重要文化財)、論議台、金堂模型などがある。
法隆寺西院伽藍の入口にある国宝の門。天智9年(670)の火災後の再建で重層入母屋造。上層勾欄の卍崩しや人字形の割束[わりづか] の意匠などは飛鳥時代の建築様式を伝えている。門の中央正面にはエンタシス様式の柱があり、その両側に各2戸の入口がある珍しい造りだ。左右に立つ金剛力士像(国指定重要文化財)は和銅4年(711)の造立で、寺の門にある金剛力士像としては最も古い。中門から左右に延びる回廊(国宝)は、金堂と五重塔を囲んで経蔵(国宝)と鐘楼(国宝)、大講堂(国宝)へと繋がり、立ち並ぶエンタシス柱が美しい。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。