
法隆寺 五重塔
法隆寺西院伽藍にある、日本最古の五重塔。基壇上からの総高は31.5m。各層の平面の漸減率が大きく、第5層は初層の半分になっている。屋根は本瓦葺きで、ゆるやかな勾配の美しい線を描く。相輪は全高のほぼ3分の1。初層内陣には心柱を囲むようにして須弥壇[しゅみだん]が築かれ、有名な塑像群像(国宝)がある。北面は釈迦の入滅、東面は文殊菩薩と維摩[ゆいま]居士の問答、西面は舎利分割、南面は弥勒浄土をそれぞれ表現している。
- 「法隆寺駅」から徒歩25分
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法隆寺西院伽藍にある、日本最古の五重塔。基壇上からの総高は31.5m。各層の平面の漸減率が大きく、第5層は初層の半分になっている。屋根は本瓦葺きで、ゆるやかな勾配の美しい線を描く。相輪は全高のほぼ3分の1。初層内陣には心柱を囲むようにして須弥壇[しゅみだん]が築かれ、有名な塑像群像(国宝)がある。北面は釈迦の入滅、東面は文殊菩薩と維摩[ゆいま]居士の問答、西面は舎利分割、南面は弥勒浄土をそれぞれ表現している。
奈良県生駒郡斑鳩町にある法隆寺および法起寺の寺院建造物群で構成される平成5年(1993)登録のユネスコの世界遺産。聖徳太子によって607年に創建された法隆寺の現伽藍は、西院と東院、子院群から構成されており、なかでも7世紀後半から8世紀初頭に再建された西院の金堂、五重塔、中門、回廊は、木造建築としては世界最古。中国六朝時代の影響を受けた仏教伝来直後の仏教建築物だが、その頃の仏教建築は中国や朝鮮にも現存せず、東アジア一帯の仏教寺院の歴史をうかがい知ることができる貴重な建造物である。また子院の寺院群は、12世紀から18世紀ごろにかけて徐々に建てられたもので、日本の仏教建築様式の変遷を今日に伝えている。
法隆寺の絵殿・舎利殿の後方にある東院の講堂。夢殿と同じころの創建とみられる。聖武天皇の夫人であった橘古那可智[たちばなのこなかち]の住宅を仏堂に改造したもので、天平期の住宅遺構として貴重。正面7間、側面4間。本瓦葺きの緩やかな切妻屋根を上げる。側壁の虹梁[こうりょう]と蟇股[かえるまた]の架構が美しい。天井は化粧屋根裏で、天蓋が吊られ、床は当時としては珍しい板敷。堂内には3組の阿弥陀三尊像(重要文化財)など多くの仏像を安置する。
聖徳太子の遺命により岡本宮を山背大兄王[やましろのおおえのおう]が寺に改めたと伝わる。池に美しい姿を映す三重塔(国宝)は706年(慶雲3)の完成で、現存するわが国最古の三重塔。
推古30年(622)に山背大兄王[やましろのおおえのおう]が、父聖徳太子の病気平癒を願って建立。土地の名にちなんで三井寺[みいでら]ともいわれた。法隆寺式伽藍配置をとり、七堂伽藍を完備していたが、創建当時の建物はない。法隆寺、法起寺とともに斑鳩三塔として美しさを讃えられた三重塔は1944年(昭和19)に雷火で焼失し、昭和50年(1975)に昔ながらの工法で再建された。講堂には、薬師如来坐像(重要文化財)と虚空蔵[こくぞう]菩薩立像(重要文化財)の2体の飛鳥仏と6体の平安仏を安置する。
法隆寺にある世界最古の木造建築物。重層入母屋造本瓦葺きで、2重基壇の上に立つ。初層は裳階[もこし]を付けた正面5間、側面4間であるのに対し、上層は正面4間、側面3間と引き締まった感じを与える。昭和24年(1949)解体修理中に下層が炎上し、白鳳時代に描かれたと推定される壁画が焼損した。インドのアジャンター石窟壁画と並び称されたこの焼損壁画は現在収蔵庫に保存されており、現金堂の壁面は再現である。堂内には聖徳太子の冥福を祈って造られたという止利[とり]仏師作の釈迦三尊像(国宝)を安置。ほかに薬師如来坐像(国宝)、四天王立像(国宝)など10数体の仏像がある。
法隆寺夢殿の北側に立つ建物。鎌倉期の再建で、正面7間のうち東3間が聖徳太子が2歳の春に合掌した掌中から出現したという舎利を安置する舎利殿。中央1間は伝法堂への通路で、西3間が太子の一代記を描いた障壁画をおさめる絵殿。現在、絵殿東面(現在の相殿)に祀られていた太子像(重要文化財)は、大宝蔵院百済観音堂に安置されている。
法隆寺西院回廊の西に置かれた国宝の僧坊。三経院の三経とは勝鬘経・維摩[ゆいま]経・法華経のことで、現在も毎年夏の3カ月間に西室で講義が行われている。現在の建物は、寛喜3年(1231)に再建された。正面5間、側面19間と細長く、切妻造本瓦葺き。正面の広縁と階段上に檜皮葺きの庇を設ける。南側3分の1が三経院で、蔀戸[しとみど]を用いるなど寝殿造の影響が強く残っている。
大和三門跡寺院のひとつ。聖徳太子の母、穴穂部間人[あなほべのはしひと]皇后の御所を寺にしたと伝えられ、斑鳩尼寺とも呼ばれた。創建時以来の尼寺で、天文年間(1532~54)に尊智女王が入寺してからは門跡寺院となった。本堂に安置されている菩薩半跏像(国宝)は飛鳥時代後期の作。右足を組み、右手の指を頬に触れようとする半跏思惟の美しい姿に、気品のある微笑みを浮かべている。聖徳太子の死を悲しむ妃橘大郎女[たちばなのおおいらつめ]が、死後の世界の様子を刺繍させた天寿国繍帳[てんじゅこくしゅうちょう](国宝・複製)も見られる。
法隆寺にある建物で、綱封蔵とは全僧尼を統括する僧官である僧綱[そうごう]が開閉する蔵のこと。綱封は勅封に次ぐ格式があった。これは高床の宝庫で、正面9間、側面3間の寄棟造本瓦葺き。中央3間を吹き抜け、両端を蔵とした形式で、扉は吹き抜け部に向かい合って開く双倉。外側は塗壁、内側は厚い板壁となっている。校倉とは違った形式の蔵として、極めて貴重な遺構だ。
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