野中寺
聖徳太子と蘇我馬子の建立と伝えられる飛鳥時代の寺。俗に「中の太子」と呼ばれ、河内三太子のひとつに数えられる。建物は法隆寺式伽藍配置だが兵火に襲われ、現在の本堂は江戸初期に再建されたもの。白鳳期の弥勒菩薩半跏思惟像と鎌倉期の地蔵菩薩像はともに重要文化財。毎月18日が拝観日。
- 「藤井寺駅」から徒歩24分
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聖徳太子と蘇我馬子の建立と伝えられる飛鳥時代の寺。俗に「中の太子」と呼ばれ、河内三太子のひとつに数えられる。建物は法隆寺式伽藍配置だが兵火に襲われ、現在の本堂は江戸初期に再建されたもの。白鳳期の弥勒菩薩半跏思惟像と鎌倉期の地蔵菩薩像はともに重要文化財。毎月18日が拝観日。
地元で「愛染さん」と親しまれる勝鬘院は、聖徳太子が四天王寺を創建した際に置いた施薬院の跡。慶長2年(1597)に豊臣秀吉が再建した重要文化財の多宝塔は、大阪市最古の木造建造物だ。縁結びの霊木・樹齢数百年の愛染かつらも必見。
「石切さん」「デンボ(腫物)の神さん」と親しまれる神社。物部氏ゆかりの神社で歴史も古く、創建は神武天皇紀元2年と云われており、饒速日尊[にぎはやひのみこと]と可美真手命[うましまでのみこと]の二柱を祀っている。お百度参りはご利益があるとして全国的に有名で、境内では「願いが叶うように」と参拝者の姿が絶える事はない。
本尊の十一面観音像は菅原道真の作と伝えられ、国宝に指定。道真が大宰府に向かう途上、道明寺に伯母の覚寿尼を訪ねて名残を惜しんだことは、歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』や文楽の『菅丞相』でも有名だ。名物の道明寺糒[ほしいひ]1000円は、日本の保存食の始まりとして伝えられている。毎月18・25日(ただし4月は17・18・25日)、正月3が日に開帳。
大阪のパワースポットとして知られている神社。戦時中は弾よけ・身体加護の御利益として身護りの護符を持って出征する人も多く、今でも厄除け・病気平癒などで参拝する人が多い。
奈良時代の天平年間(729~748)の創建といわれる。嘉吉の乱で将軍足利義教を殺した赤松満祐が、義教の首をこの寺へ葬った。その後、摂津守護細川持賢が義教を弔うとともに細川家菩提寺として再興。また境内で起こった、大和郡山藩の遠城兄弟と生田伝八郎との果たし合い「仇討崇禅寺馬場」も有名だ。結果は、伝八郎の弟子たちに返り討ちにされたという。境内には主人公・遠城兄弟の墓、足利義教の首塚、細川ガラシャ夫人の墓がある。
標高660mの山頂には「能勢の妙見さん」と呼ばれ、親しまれる北極星の信仰から始まる開運北辰妙見大菩薩がまつられている。日本三大妙見の1つといわれ、全国から参拝者が集まる。かつては勝海舟や坂田三吉も参拝したという。山上駅と妙見山を結ぶ観光リフトから眺める、季節ごとに咲く花々の景色は見事。
成田山不動尊は商都大阪の表鬼門を浄め、仏都京都の裏鬼門を守る、不動尊信仰の総付として著名な寺院。中でも交通安全のご利益が有名。日本で初めて人と車両とを一緒にご祈祷した寺院として知られ、本堂とは別に一度に100台の自動車をご祈念できる専用の祈祷殿があり、交通安全祈願の根本道場として威容を誇っている。参拝者は、年間約220万人を数え、その内1月1~3日に約75万人が訪れる。また、自動車の祈祷台数は、年間20万台にもおよび、1月1~3日の間には、多くの自動車が1年の無事故を祈るために夜遅くまで列を作る。
応神天皇の宗廟として歴代天皇の行幸を仰ぐこと数次、また朝廷・幕府からの庇護も厚く、武神として崇められた。現在の社殿は豊臣秀頼による再建。宝物館には国宝の神輿、応神天皇陵出土の鞍金具など多くの宝物を蔵している。
天平7年(735)行基草創の曹洞宗別格寺院。本尊は薬師如来。霊場名は「萩の寺」。新西国霊場第十二番の観音霊場、西国七福神第一番の毘沙門天霊場。大阪東照宮権現祭りを継承し、春の三十三観音祭り、秋の萩まつり道了祭は350年の伝統を持つ。豊臣秀吉勧請の火の神・商いの神・道了大権現の大護摩火渡り、小野篁作あごなし地蔵、後醍醐帝ゆかりの南朝女官こより十一面観音、家康公念持仏「厄除け薬師如来」など由緒ある御仏を祀る。千年の萩は大阪みどりの百選。1年逗留した魯山人は、その見事な萩の風情を「萩露園」と命名、魯山人観音を奉納した。
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