
継松寺
聖武天皇の勅願で天平15年(743)に建てられたと伝わる。本尊の如意輪観音が厄除けに霊験あらたかと信仰され、地元では「岡寺さん」とよばれて親しまれている。3月の初午[はつうま]大祭は、厄除けの人や開運祈願の参拝客で賑わう。これらの日に売られる厄除け玩具の猿はじきが珍しい。
- 「松阪駅」から徒歩6分
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聖武天皇の勅願で天平15年(743)に建てられたと伝わる。本尊の如意輪観音が厄除けに霊験あらたかと信仰され、地元では「岡寺さん」とよばれて親しまれている。3月の初午[はつうま]大祭は、厄除けの人や開運祈願の参拝客で賑わう。これらの日に売られる厄除け玩具の猿はじきが珍しい。
「頭之宮」と名付く神社は、日本で唯一ここだけ。「あたまの宮さん」として、特に首より上の諸祈願に信仰を集める。現代社会は頭の時代。仕事には独創性とひらめきが、受験社会の守護神として、入学・就職・国家試験の試験合格。頭の病気・ケガ。四方神社の名の通り、四方八方からの「厄除」にも参拝がある。日々の生活は健康な頭と心から、冷静な頭で判断力が大切。御神水「知恵の水」は、古来より「生きる力を生み出す水」と言い伝えられている。
須佐之男命[すさのおのみこと]を祭神とする、尾鷲随一の由緒ある神社。境内には拝殿や本殿、参集殿などが立つ。2本の楠の大木(別名・夫婦楠)は高さ30m、周囲10m。樹齢は1000年以上といわれ、県の天然記念物に指定されている。毎年2月1~5日には、日本有数の奇祭「ヤーヤ祭」が行われる。
高さ45m、幅80mの巨石を御神体とする神社。『日本書紀』に登場する国生み神話の伊弉冉尊[いざなみのみこと]を葬った有馬村は、この花の窟であるといわれている。毎年2月2日と10月2日の例大祭には岩の頂から縄をかける、お綱かけの神事が行われる。
全国に600以上ある真宗高田派寺院の本山。平成29年(2017)11月28日、三重県初の国宝(建造物)に指定された、全国の国宝木造建造物で5本の指に入る大きさの御影堂や如来堂をはじめ、国指定重要文化財11棟も見応え十分で、広大な敷地内は見どころが満載。また、専修寺を中心に発展した寺内町は歴史的な街並みを今に伝えている。
境内に並んで鎮座する瀧原宮、瀧原竝宮[たきはらのならびのみや]は、ともに皇大神宮(内宮)の別宮。天照大御神の御魂を祀っている。本殿までの参道脇には樹齢数百年の杉が生い茂り、荘厳な雰囲気が漂う。
聖徳太子が建立したと伝わる4つの四天王寺のひとつ。織田信長、信包、お市の方の母であり、信包を頼って津城で過ごしていた土田御前が祭られている。穏やかな雰囲気の境内奥にひっそりと墓が立っている。
結城神社は、鎌倉幕府倒幕と建武中興に功のあった、南北朝時代に活躍した南朝方の武将・結城宗広を祀る神社。宗広の臨終の地・結城塚があった地に、津藩十代藩主・藤堂高兌が文政7年(1824)に社殿を造営したのが始まり。梅の名所としても知られ、昭和62年(1987)に社殿とともに整備された梅苑には、宗広の立派な墓碑のほか、「結城さんのしだれ梅」と呼ばれる約300本の枝垂れ梅をはじめとする梅の木が植えられ、2月中旬~3月中旬に満開となる。
熊野街道沿いの閑静な山里にある普賢寺は宗派のない単立寺院。本尊は国指定重要文化財(旧国宝)の普賢菩薩座像である。平安時代前期の作で、壇像彫刻風の貞観彫刻の優品。本一面観世音菩薩や千手観音金銅像なども拝見できる。仏像拝観の他に回向や祈願の相談もおこなう。拝観時は要予約。
神亀5年(728)、聖武天皇の勅願で、行基が創建したとされる古刹。往時には七堂伽藍を有したが、たび重なる兵火で焼失。災禍を逃れた本尊は、当初薬師如来であったものを阿弥陀如来立像に改作したといわれる。高さ162cmの一木造[いちぼくづくり]。全身に木屎漆[こくそうるし]が塗られた立派な仏像は、国の重要文化財に指定されている。
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