
塩竈神社
玉津島神社に隣接するもと玉津島神社の祓所[はらいじょ]。海の幸、安産の神様として親しまれてきた神社で、主祭神の塩槌翁尊[しおづちのおじのみこと]は輿の窟[こしのいわや]とよばれる岩穴に鎮座する。傍らに山部赤人[やまべのあかひと]の「若の浦に潮満ちくれば…」の歌碑がある。国指定名勝に指定されている。
- 「紀三井寺駅」から徒歩23分
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玉津島神社に隣接するもと玉津島神社の祓所[はらいじょ]。海の幸、安産の神様として親しまれてきた神社で、主祭神の塩槌翁尊[しおづちのおじのみこと]は輿の窟[こしのいわや]とよばれる岩穴に鎮座する。傍らに山部赤人[やまべのあかひと]の「若の浦に潮満ちくれば…」の歌碑がある。国指定名勝に指定されている。
インドから熊野の海岸に漂着した裸形上人[らぎょうしょうにん]が開山した寺。本尊は千手千眼観世音菩薩像(重要文化財)で、平安時代に作られたもの。補陀洛とは古代サンスクリット語の「ポータラカ」の音訳で、観音菩薩の住む浄土を意味する。かつて那智の浜は補陀洛浄土に通じていると信じられ、この寺の住僧は臨終間際になるとわずかな食料を屋形付きの小舟に積み、扉を封印して、補陀洛へと旅立った。これを補陀洛渡海[ふだらくとかい]という。境内には渡海船が復元されているほか、隣には熊野詣の際、潮垢離[しおごり]をしたといわれる浜ノ宮王子跡に、熊野三所大神社[おおみやしろ]が立つ。
虎関[こかん]師錬開山の臨済宗東福寺派の寺。天明6年(1786)、津波で大破していた寺を愚海[ぐかい]和尚が再建した際、友人の画家・円山応挙が再建祝いとして方丈の障壁画を描き、その作品を弟子の長沢芦雪が寺に届けた。芦雪もまた、この寺に滞在している間、多くの襖絵などを描き残したため、無量寺は「芦雪寺」とよばれている。
和歌山県新宮市に鎮座し、源頼朝寄進の538段の急峻な石段を上ると、大きなゴトビキ岩が聳える。この巨岩が古くからの御神体で、熊野の神々が初めに降りたった聖地として、太古より神の磐座として崇められてきた。現在は神倉神社として高倉下命[たかくらじのみこと]と天照大神[あまてらすおおみかみ]を祀る。日本最古の火祭り「お燈祭」(国指定重要無形民俗文化財)でも有名。毎年2月6日に白装束に荒縄を巻いた2000人もの上り子が松明を手に急な石段を駆け下りる。新宮節に「山は火の滝、下り龍」と歌われるほど勇壮な火祭りだ。
全国熊野神社の総本宮として崇敬が厚く、孝謙天皇の御世に「日本第一大霊験所 根本熊野大権現」の勅額を賜る古社。熊野速玉大神(父神)、熊野夫須美大神(母神)を中心に十八柱の天神地祗を祀り、生きる力をもう一度戴く「甦りの宮」として有名。10月15・16日に行われる例大祭は、国の重要無形民俗文化財に指定。参道にそびえる樹齢1000年の御神木 椰・なぎは、「世界平和の木」として手を合わす人が絶えない有名な熊野のシンボル。また1000点の国宝古神宝を所蔵、一部を熊野神宝館で展示。特に御神徳の高い御守として熊野牛王宝印、椰守、直霊守[なおひまもり]、甦り守が有名。
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