
誠心院
新京極にあり、藤原道長が和泉式部のために建てた小御堂が始まり。境内北側の墓地に高さ4mの和泉式部供養塔がある。
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新京極にあり、藤原道長が和泉式部のために建てた小御堂が始まり。境内北側の墓地に高さ4mの和泉式部供養塔がある。
三条通を上った所にある矢田寺は、奈良・矢田寺の元別院。本尊の地蔵菩薩は諸願成就にご利益があるとされる。8月16日の五山の送り火に合わせ、精霊を冥土へ送る「送り鐘」を撞く寺として有名だ。
新京極にある飛鳥時代の創建という古刹。もとは奈良にあったが平安遷都で京都へ移り、その後秀吉の区画整理で現在地へ移転した。謡曲『誓願寺』の中で、和泉式部が「歌舞の菩薩」となって現れることから芸道上達祈願のお寺として信仰を集める。また、五十五世住職・安楽庵策伝上人は『醒睡笑[せいすいしょう]』八巻を著したことにより「落語の祖」と称される。門前に「迷子のみちしるべ」と呼ばれる石柱が立つ。
織田信長が明智光秀に討たれた寺として知られているが、当時は四条西洞院にあった。天文15年(1587)、現在地に移転。境内には信長の供養塔も立つ。
京都・東山三十六峰の一つ、華頂山の麓に広がる浄土宗の総本山。法然上人が承安5年(1175)ここに居を構え、「南無阿弥陀仏」と称えるとすべての人が救われるという念仏の教えを説き、生涯を閉じた念仏の聖地だ。7万3000坪の広大な境内には、法然上人の御廟や2000人が一度に参拝できる御影堂、日本最大級の三門など国宝や重要文化財の多くの伽藍が建ち並ぶ。
延暦24年(805)、桓武天皇の勅命で最澄によって開かれた。裏山を借景とした緑の深い庭園は、相阿弥作と伝わる。文治元年(1185)に建礼門院が出家したことで知られ、わが子安徳天皇の御衣で作った仏幡[ぶつばん]や建礼門院像など、『平家物語』の世界が広がる。
紅葉の名所として知られる天台宗の寺。真如堂の名で親しまれている。永観2年(984)、戒算上人が比叡山常行堂にあった阿弥陀如来像(重要文化財)を本尊にして開いた。この像は慈覚大師円仁の作と伝え、別名を「うなずきの弥陀」と呼ばれ、女人救済に御利益があるとされる。現在の堂宇は江戸時代中期の再建で、広大な境内には本堂(重要文化財)、三重塔、大師堂、鐘楼堂、塔頭寺院が立ち並び、大寺院の風格が漂う。11月5~15日の十夜大法要[じゅうやだいほうよう]が行われ、15日には阿弥陀如来像を開扉。寺宝の大涅槃図は、3月1日~4月第1日曜まで公開される。
伊邪那岐[いざなぎ]と伊邪那美[いざなみ]の息子である金山毘古神[かなやまひこのかみ]がご祭神。剣や刀などの武具、農耕具などの金属をはじめ、お金に関してのご利益も大きいと人気がある。
明治36年(1903)建設、正教会(オーソドックス・チャーチ)の本格的木造大聖堂。ロシア・ビザンティン様式の聖堂は奥行約27m、高さ約22m。東京都千代田区JRお茶の水駅近くの東京復活大聖堂(ニコライ堂)に比する格式をもつ、明治期の代表的教会建築。聖堂前部には瀟洒な鐘楼、聖堂内には、帝政ロシア後期にモスクワで描かれた聖像(イコン)を納める聖障(イコノスタス)はじめ豪壮・華麗なシャンデリア・燭台などが美しい。国指定重要文化財。
早良[さわら]親王など、非業の死を遂げた御霊八所の神を祭る。本殿は寛政3年(1791)に宮中の内侍所仮殿を移し、寺町通に面した表門は仮皇居の建礼門を移したものと伝えられている。
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