
清閑寺
延暦21年(802)創建で、『平家物語』によると小督[こごう]の局が宮中を追われ出家した寺。山中には小督の局を愛した高倉天皇の陵や、西郷隆盛と清水寺住職月照上人が謀議をした茶室郭公亭がある。清水寺から清閑寺へ向かう杉並木の山道は古くから知られた紅葉の名所。途中にある清水寺塔頭泰産寺[たいさんじ]の子安塔(重要文化財)は、安産祈願で有名。江戸時代初期の再建で、もとは坂上田村麻呂の娘が皇子の誕生を祝って建てたものという。この場所からは清水寺を一望できる。
- 「御陵駅」から徒歩24分
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延暦21年(802)創建で、『平家物語』によると小督[こごう]の局が宮中を追われ出家した寺。山中には小督の局を愛した高倉天皇の陵や、西郷隆盛と清水寺住職月照上人が謀議をした茶室郭公亭がある。清水寺から清閑寺へ向かう杉並木の山道は古くから知られた紅葉の名所。途中にある清水寺塔頭泰産寺[たいさんじ]の子安塔(重要文化財)は、安産祈願で有名。江戸時代初期の再建で、もとは坂上田村麻呂の娘が皇子の誕生を祝って建てたものという。この場所からは清水寺を一望できる。
豊臣秀吉の正室、高台院(北政所ねね)が慶長11年(1606)に秀吉の菩提を弔うために開いた寺。創建当初は広大な寺域をもつ壮麗な寺であったが、度重なる火災に遭っている。桃山様式の創建当時の面影を残すのは、開山堂(重要文化財)と、須弥檀や厨子の高台寺蒔絵で名高い霊屋[おたまや](重要文化財)、伏見城から移した茶室傘亭(重要文化財)と時雨亭(重要文化財)、表門(重要文化財)、観月台(重要文化財)など。東山を借景にした小堀遠州作の庭園(名勝・史跡)も見ごたえがある。
紅葉の名所として知られる天台宗の寺。真如堂の名で親しまれている。永観2年(984)、戒算上人が比叡山常行堂にあった阿弥陀如来像(重要文化財)を本尊にして開いた。この像は慈覚大師円仁の作と伝え、別名を「うなずきの弥陀」と呼ばれ、女人救済に御利益があるとされる。現在の堂宇は江戸時代中期の再建で、広大な境内には本堂(重要文化財)、三重塔、大師堂、鐘楼堂、塔頭寺院が立ち並び、大寺院の風格が漂う。11月5~15日の十夜大法要[じゅうやだいほうよう]が行われ、15日には阿弥陀如来像を開扉。寺宝の大涅槃図は、3月1日~4月第1日曜まで公開される。
豊臣秀吉公の出世祈願が叶えられたことが神社名の由来。もとは伏見城の守護神として鎮座する倉稻魂命[うかのみたまのみこと]と、良縁の神様・大国主命も祀られる。
南禅寺の塔頭。広大な敷地内に枯山水庭園と池泉回遊式庭園がある。
三条通を上った所にある矢田寺は、奈良・矢田寺の元別院。本尊の地蔵菩薩は諸願成就にご利益があるとされる。8月16日の五山の送り火に合わせ、精霊を冥土へ送る「送り鐘」を撞く寺として有名だ。
新京極にあり、藤原道長が和泉式部のために建てた小御堂が始まり。境内北側の墓地に高さ4mの和泉式部供養塔がある。
京都・東山三十六峰の一つ、華頂山の麓に広がる浄土宗の総本山。法然上人が承安5年(1175)ここに居を構え、「南無阿弥陀仏」と称えるとすべての人が救われるという念仏の教えを説き、生涯を閉じた念仏の聖地だ。7万3000坪の広大な境内には、法然上人の御廟や2000人が一度に参拝できる御影堂、日本最大級の三門など国宝や重要文化財の多くの伽藍が建ち並ぶ。
南禅寺の塔頭。家康に重用された僧崇伝[すうでん]が北山にあった寺を移したものという。豪華な東照宮(重要文化財)や遠州好みの八窓席(重要文化財)、白砂に鶴島、亀島を配した枯山水の庭園(特別名勝)などがある。
ご速素盞鳴尊[すさのをのみこと]が八柱もの御子神をもうけられたこと、子宝・安産の象徴であるうさぎがかつて都の卯の方位にある鎮座地一帯に生息していたことから、うさぎを神使いとして崇めており、子授け安産の神様として厚く信仰されている。境内には子授け黒うさぎや縁結びの狛うさぎなどたくさんのうさぎが据えられている。岡崎神社の「さき」の字は、正式には山+竒。
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