東天王 岡崎神社
ご速素盞鳴尊[すさのをのみこと]が八柱もの御子神をもうけられたこと、子宝・安産の象徴であるうさぎがかつて都の卯の方位にある鎮座地一帯に生息していたことから、うさぎを神使いとして崇めており、子授け安産の神様として厚く信仰されている。境内には子授け黒うさぎや縁結びの狛うさぎなどたくさんのうさぎが据えられている。岡崎神社の「さき」の字は、正式には山+竒。
- 「蹴上駅」から徒歩18分/「東山(京都)駅」から徒歩21分
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ご速素盞鳴尊[すさのをのみこと]が八柱もの御子神をもうけられたこと、子宝・安産の象徴であるうさぎがかつて都の卯の方位にある鎮座地一帯に生息していたことから、うさぎを神使いとして崇めており、子授け安産の神様として厚く信仰されている。境内には子授け黒うさぎや縁結びの狛うさぎなどたくさんのうさぎが据えられている。岡崎神社の「さき」の字は、正式には山+竒。
新京極にある飛鳥時代の創建という古刹。もとは奈良にあったが平安遷都で京都へ移り、その後秀吉の区画整理で現在地へ移転した。謡曲『誓願寺』の中で、和泉式部が「歌舞の菩薩」となって現れることから芸道上達祈願のお寺として信仰を集める。また、五十五世住職・安楽庵策伝上人は『醒睡笑[せいすいしょう]』八巻を著したことにより「落語の祖」と称される。門前に「迷子のみちしるべ」と呼ばれる石柱が立つ。
織田信長が明智光秀に討たれた寺として知られているが、当時は四条西洞院にあった。天文15年(1587)、現在地に移転。境内には信長の供養塔も立つ。
京都・東山三十六峰の一つ、華頂山の麓に広がる浄土宗の総本山。法然上人が承安5年(1175)ここに居を構え、「南無阿弥陀仏」と称えるとすべての人が救われるという念仏の教えを説き、生涯を閉じた念仏の聖地だ。7万3000坪の広大な境内には、法然上人の御廟や2000人が一度に参拝できる御影堂、日本最大級の三門など国宝や重要文化財の多くの伽藍が建ち並ぶ。
維新の志士や大東亜戦争の戦没者の霊を祀る神社。坂本龍馬と中岡慎太郎の墓や、二人が並んだ銅像もあり、修学旅行生や維新の志士ファンが参拝訪れる。参道の坂道は維新の道と呼ばれ、春は桜、秋はモミジが美しい。11月15日には坂本龍馬命日祭「龍馬祭」が行われ、奉納演舞「龍馬よさこい」が披露される。
弘仁2年(811)、日圓上人が紀州熊野大神を勧請したのが始まり。国生みを行った夫婦神伊弉冉命・伊弉諾命とその御子神天照大神を祀る。ご利益は縁結び・安産・病気平癒・健康長寿。熊野牛王宝印・からす守り・なぎ守り・サッカー守り授与。
永観堂の名で親しまれ、紅葉の名所としても知られる。平安時代初期、弘法大師の弟子真紹[しんじょう]僧都により創建されたが、後に永観律師が念仏修行の場として、民衆を救った功績から永観堂と呼ばれるようになった。本尊の阿弥陀如来立像(重要文化財)は左後方を振り返る姿で、「みかえり阿弥陀」とも呼ばれる。
延暦24年(805)、桓武天皇の勅命で最澄によって開かれた。裏山を借景とした緑の深い庭園は、相阿弥作と伝わる。文治元年(1185)に建礼門院が出家したことで知られ、わが子安徳天皇の御衣で作った仏幡[ぶつばん]や建礼門院像など、『平家物語』の世界が広がる。
鎌倉末期、日尊上人が創建した日蓮本宗本山。1万3500平方mの広大な境内には、清涼池をはじめ、本堂、開山堂、鐘楼、庫裏、書院などの堂宇を数え、堂々たる風格がある。
太秦は養蚕・機織りの技術に優れた秦氏の居住した地であったことから、木島坐天照御魂神社の境内には養蚕社が祭られ、一般に「蚕の社」といわれるようになった。今も製糸業者の信仰が厚い。また、日本で唯一の三方が正面となる三柱鳥居がある。
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