福済寺
長崎駅から丘へ向かって5分ほど歩くと見える、高さ18mもの巨大な観音像がある寺。元国宝の本堂が原爆時の被害で焼失し、坂本龍馬と一緒に逗留したと勝海舟の日記にもある寺だ。
- 「長崎駅前駅」から徒歩6分/「桜町(長崎)駅」から徒歩6分
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長崎駅から丘へ向かって5分ほど歩くと見える、高さ18mもの巨大な観音像がある寺。元国宝の本堂が原爆時の被害で焼失し、坂本龍馬と一緒に逗留したと勝海舟の日記にもある寺だ。
寛永6年(1629)、明[みん]の僧・超然[ちょうねん]が創建した黄檗[おうばく]宗の寺院。竜宮城を思わせる朱塗りの山門が印象的。黄檗天井と称されるアーチ型天井をもつ入母屋造の大雄宝殿(国宝)や第一峰門(国宝)、鐘鼓楼(重要文化財)などの唐様の堂宇が立ち並ぶほか、境内には飢饉の際、住民を救うため作られた大釜などもある。毎年旧暦の7月26~28日には中国盆会[ちゅうごくぼんえ]が行われ、賑わいを見せる。
海を見下ろす小高い丘に立つ、漆喰の白い外壁と2つの塔が印象的な教会堂。建立は明治15年(1882)。フランス人宣教師マルク・マリー・ド・ロ神父が自ら設計し、信者たちの労働奉仕で完成した。低く堅牢な造りの木造平屋建てで、明治42年(1909)には玄関を拡張して鐘塔を造り、創建時の装飾塔と合わせて2つの塔を持つ姿になった。内部は三廊式で、天井は漆喰塗り、かつては正座して祈りを捧げたという木造りの床には傷や擦れた跡などが残っている。国指定重要文化財で、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産である出津集落の見どころの一つ。
正式名称は「日本十六聖人教会」。大浦天主堂に次ぐ約120年の歴史をもつ古教会だ。キリシタン大名大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡に、明治29年(1896)、「西中町教会堂」として建立。当初は大きな尖塔をシンボルとしたロマネスク様式の聖堂だったが、昭和20年(1945)の原爆投下で尖塔と側壁だけに。現聖堂は世界中からの献金をもって礎石、レンガの外壁はそのままに、鉄筋コンクリートの白亜の教会として昭和26年(1951)に再建されたもの。中央尖塔の両脇には2本の小塔が加えられ、天井は筒形ヴォールトになっている。祭壇中央の十字架は、スペイン・バスク地方のザビエル城にあるフランシスコ・ザビエルゆかりの「ほほえみの十字架」のレプリカ。キリストの生涯を描いたステンドグラスも美しく印象的だ。敷地内には教会名の由来となった「聖トマス西と15名の殉教者(長崎十六聖人)の碑」がある。
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「大野集落」にある教会堂。明治26年(1893)、ド・ロ神父が設計・施工し、大野集落の26戸の信者のために建設した教会で、民家風の建物は間口約6.1m、奥行約11.8m。内部は1室のみで、奥に司祭室が別に造られている。和瓦葺きの屋根上や鬼瓦にはクルスが描かれ、石を積み上げた外壁にはレンガで半円アーチを造った窓がある。ド・ロ壁と呼ばれる外壁は、地元の玄武岩の割り石を使い、赤土に石灰を混ぜ合わせた泥漆喰で固めていることから大野独特の風合いを醸し出している。内部見学はできないが、木骨トラスを用いた小屋組など、ド・ロ神父の洋式建築技法が典型的に表れており、国の重要文化財に指定されている。
長崎市街の南西沖、伊王島と陸続きとなっている沖之島。その高台に立つ尖塔が印象的なゴシック様式の白亜の天主堂。今でも島の住民の約半数が敬謙なカトリック信者というこの島民の願いで、明治4年(1871)にマルマン神父設計の漆喰造りの本聖堂が建立された。その後、台風と落雷の被害にあい、昭和6年(1931)に地元の大工を棟梁として鉄筋コンクリート造りの平屋建てで再建。聖堂内は三廊式でリブ・ヴォールト天井となっており、朝と夕方には祈りの鐘がこだまする。ライトアップされた姿も美しく伊王島のシンボル的存在だ。国の登録有形文化財。
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