若宮稲荷神社
坂本龍馬を始め多くの志士達が参拝したことから勤皇稲荷(または勤王神社)と呼ばれている。毎年10月14・15日には白装束に狐の面をつけた若者が命綱なしで10m以上の高い竹竿の上で曲芸を行う「竹ん芸」が行われる。
- 「新大工町駅」から徒歩7分/「新中川町駅」から徒歩8分
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坂本龍馬を始め多くの志士達が参拝したことから勤皇稲荷(または勤王神社)と呼ばれている。毎年10月14・15日には白装束に狐の面をつけた若者が命綱なしで10m以上の高い竹竿の上で曲芸を行う「竹ん芸」が行われる。
延宝5年(1677)に建立された寺で、興福寺・福済寺・崇福寺と共に「長崎四福寺」ともよばれ、福を呼ぶ寺として人気が高い。欄干など、いたる場所に唐寺の風情が色濃く漂い、長崎一大きな梵鐘や鬼瓦を埋め込んだ塀などみどころも多い。鎖国令により15歳で国外追放された、混血児のジャガタラお春の碑があることでも知られている。
地元では「お諏訪さま」の愛称で親しまれている長崎の総氏神。大鳥居から続く194段の石段を上れば長崎の街並みが一望できる。広い境内には、カッパのような皿を頭にのせたり、玉に乗ったりなどさまざまな姿をした狛犬が祀られていてユニーク。また国際都市・長崎ならではの英文おみくじも人気がある。
学問の神様、菅原道真を祀った神社。本殿を囲む端垣[みずがき]の欄間に刻まれた『職人尽[しょくにんづくし]』の彫刻は、菓子造りや竹細工、鍛冶大工などの職人の姿を30枚にわたり浮き彫りにした貴重なもの。県の有形文化財にも指定されている。正徳3年(1713)、社殿改築の際に奉納された。
亀山社中跡の長崎市亀山社中記念館近く、亀山通りに石碑が立つ。亀山焼窯は文化4年(1807)に、大神甚五平を中心に開窯した。オランダが注文した水瓶を主に焼いていたが、オランダ船来航の減少により白磁染付を製作するようになり、やがて慶応元年(1865)に閉窯。龍馬は自分の名と同じ龍が描かれた亀山焼の茶碗を愛用したといい、この窯跡地に亀山社中を設立した。現在、窯跡の一部が確認されており、石碑脇には案内板が、そばの伊良林平公民館では外壁に展示棚を設けて亀山焼の作品を展示している。
長崎市街を流れて長崎港へと注ぐ中島川は流路延長約5.8kmの川。かつては大川と呼ばれ、元亀元年(1570)の長崎開港から、ポルトガルとの交易のための出島があった江戸時代には、物資の流通ルートとして使われ、貿易のための水運利用によって街の中心となっていた。明治になっての変流工事や度々の水害などを経て、現在の中島川には、国指定重要文化財の眼鏡橋をはじめ、長崎市指定有形文化財「中島川石造アーチ橋群」の高麗橋、桃渓橋、袋橋など、多くの石橋が架けられ、風光明媚な景観をつくり出している。
寛永11年(1634)、唐僧・黙子如定[もくすにょじょう]によって架設。中島川石橋群の中では唯一の双円アーチ型で、水に映った姿が眼鏡のように見えるためこの名が付いている。眼鏡橋のビューポイントは2つ隣の東新橋。アーチが高いので、眼鏡橋を正面から見下ろす角度で見ることができる。橋の向こうに夕日が沈む景色は一見の価値あり。河畔は中島川公園として整備され、枝垂れ柳が風情を感じさせる。川沿いに遊歩道もあるので、ゆっくりと散歩をしてみよう。夜22時までライトアップを実施。長崎の観光名所として人気が高い。
元和6年(1620)創建。日本の唐寺では最も古く、長崎三福寺の一つ。2代目住職は眼鏡橋を造った如定[にょじょう]で、黄檗[おうばく]宗開祖・隠元[いんげん]禅師が最初に入山した寺でもある。威風堂々とした寺が立ち並ぶ寺町通りのなかでも、総朱丹塗りの大きな山門が際立つ。鮮やかな色彩の彫刻が施された大雄宝殿[だいおうほうでん](国重要文化財)や唐人屋敷門(国重要文化財)、孔子を祭った中島聖堂などみどころは多い。
風頭公園内の龍馬の像の隣にある。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の一節を抜粋した文学碑。長崎に込めた龍馬の期待が伝わってくる。
慶長13年(1608)、飯盛山洪徳寺の七世であった亀翁良鶴により創建された。当時の長崎はキリシタンが多く、亀翁はここで仏法復興のために奮闘した。境内には歴代長崎奉行やシーボルトの娘楠本イネなど長崎で活躍した著名人の墓が多くあり、また高台からの景観も見事なため、多くの人々が訪れる。
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