桂春院
江戸初期創建の妙心寺の塔頭。ツツジの大刈込が美しい南庭と苔が見事な東庭など、創建時の枯山水庭園(史跡・名勝)がある。三畳台目で草庵風の茶室既白庵[きはくあん]は近江長浜城から移築されたものだ。
- 「龍安寺駅」から徒歩6分/「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅」から徒歩6分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
江戸初期創建の妙心寺の塔頭。ツツジの大刈込が美しい南庭と苔が見事な東庭など、創建時の枯山水庭園(史跡・名勝)がある。三畳台目で草庵風の茶室既白庵[きはくあん]は近江長浜城から移築されたものだ。
本尊は千手観音。平安時代から厄除けの観音様として厚く信仰されている。春はシャガ、秋は紅葉の羅漢寺として親しまれているこの寺には、境内に1200躰もの表情豊かな石造の羅漢さんが並び、訪れる人々の心を和ませてくれる。嵯峨野めぐりにはここを出発点とする「嵯峨野散策モドルコース」がおすすめ。「清滝行き」の京都バスに乗れば、嵐山周辺からの上り坂も楽々。後の見所は全て下り坂コースになるので帰り道も安心。ここが嵯峨野めぐりの始発点だ。
『平家物語』の遺跡として、昭和になって再建された寺。平重盛に仕え、宮中の滝口の侍になった斎藤時頼は、建礼門院に仕える横笛との結婚を望むが父に反対され、落胆のあまり出家。滝口入道と呼ばれた。それを知って訪れた横笛に会おうとはせず、高野山に入ったという。本堂に悲恋の2人の木像があり、参道には横笛の歌碑が立つ。
伊勢神宮の斎宮に選ばれた皇女が、潔斎のためにこもった所。クヌギの丸太を組んだ黒木の鳥居や小柴垣の簡素な佇まいの小さな社で、『源氏物語』の「賢木」の巻、謡曲『野宮』などに描かれた当時の様子を彷彿とさせる。今では縁結び、進学の神社として知られるようになった。
妙心寺境内の東側に位置。享禄4年(1531)、細川氏綱が父の菩提を弔うために建立。本堂前庭には、十数本の沙羅双樹の木があり、その花が美しい寺として知られる。見ごろとなる季節には、沙羅の花を愛でる会(6月中旬~下旬)を開催。特別公開される。住職手作りの精進料理が食べられる宿坊としても有名。火・金曜には精進料理体験教室が開かれる。
真言宗大覚寺派本山。貞観18年(876)に嵯峨天皇の離宮を寺院に改めたもので、代々天皇や皇統の方々が住持し格式を保ってきた、大変格式の高い門跡寺院。鎌倉時代には後嵯峨、亀山、後宇多法皇がここで院政をしき、嵯峨御所とも呼ばれた。宸殿(重要文化財)をはじめ、襖絵など多くの文化財を所有。なかでも、後水尾天皇より賜り、京都御所から移築した宸殿の牡丹の間、紅梅の間の襖絵は狩野山楽が描いたもので、ひときわ豪華だ。
桂川の東岸にある。橘氏の氏神として綴喜郡井手町[つづきぐんいでちょう]に祀られたものを、檀林[だんりん]皇后橘嘉智子が現在の地に移し、皇子の誕生を祈願したところ、のちの仁明天皇を懐妊したという。以来子授・安産の神として尊ばれ、本殿東のまたげ石をまたいだり、産土を受ける風習がある。本殿に酒解[さかとけ]神、酒解子神などを祀り、酒造の神として信仰を集める。神花として梅が約350本植えられており、カキツバタも有名。
京都人に「あたごさん」の名で親しまれている。老杉に囲まれた愛宕山の山頂にあり、僧泰澄と役小角によって大宝年間(701~704年)に修験道の修行の山として開かれたのが始まりと伝わる。祭神の伊邪那美命[いざなみのみこと]の子、迦倶槌命[かぐつちのみこと]が火の神なので、防火鎮火の神として尊ばれている。7月31日夕刻~8月1日早朝の参詣は、千日詣と呼ばれて1日で千日分の功徳があるといわれる。
日本でほかにないとされる、髪の神社。境内には、献髪を納めた髪塚もあり、髪の恩恵に感謝する大祭も行われている。
化野と呼ばれるこの一帯は、かつて亡骸を葬る風葬の地だった。寺の起こりは、弘法大師がこの地に葬られた死者の菩提を弔うために寺を建てたことによる。のちに法然上人が念仏道場に改め、念仏寺と称した。境内には無縁仏となった約8000体もの石仏や石塔が並ぶ。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。