大豊神社
病気平癒、健康長寿、縁結びや安産の神様として信仰を集める。境内の狛ねずみは、大国主命をねずみが救ったという神話にちなんでいる。他に狛猿、狛鳶に加え、奉納狛巳が出迎えてくれる。境内には椿、梅、桜、紫陽花、その他四季折々の山野草が咲き、楽しむことができる。
- 「蹴上駅」から徒歩21分
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病気平癒、健康長寿、縁結びや安産の神様として信仰を集める。境内の狛ねずみは、大国主命をねずみが救ったという神話にちなんでいる。他に狛猿、狛鳶に加え、奉納狛巳が出迎えてくれる。境内には椿、梅、桜、紫陽花、その他四季折々の山野草が咲き、楽しむことができる。
三千院と並んで大原を代表する寺。平清盛の娘・建礼門院徳子[けんれいもんいんとくこ]が、わが子、安徳天皇や平家一門の菩提を弔いながら、余生を過ごした。後白河法皇が建礼門院を訪れた『平家物語』の大原御幸[ごこう]でも知られる。本尊は木造地蔵菩薩立像。夏は沙羅の花、秋は紅葉が美しく境内には『平家物語』ゆかりの汀[みぎわ]の池、汀の桜などもある。旧本尊が重要文化財に指定されており、期間限定で特別公開もしている。
三千院からさらに東、呂川沿いに山道を少し上った地にひっそり佇む。最澄の直弟子の慈覚大師円仁が中国の五台山を模して建立、その後衰微したが天仁2年(1109)に融通念仏宗の祖良忍[りょうにん]上人が再興した。円仁は唐への留学で、独特の節回しで唱えるお経である声明[しょうみょう]を持ち帰ったため、ここが日本での声明の発祥地とされる。本堂には藤原時代の本尊薬師如来像(重要文化財)を中心に、釈迦如来像(重要文化財)、阿弥陀如来像(重要文化財)を安置する。
子供の夜泣きや癇の虫封じの神様で知られ、子どもを守るところから学業の神という側面も。鳥居前には狛犬ならぬ「狛鳩」が置かれ、社殿のあちこちにも土製の「神鳩」が見られる。これらは子どもの成長を祈願し、そのお礼に納められたもの。江戸時代から人々の信仰を集め、多くの大型絵馬が奉納された。大勢の子どもが行列を作って参拝する様子、子どもの遊ぶ様子を描いた絵馬など、ほかに例を見ない60点を展示公開する絵馬展示資料館を併設。
秋には石川丈山作と伝えられる池泉回遊式庭園が色づき、書院から眺める紅葉風景は絶景。苔と紅葉の共演が楽しめる。
南禅寺の塔頭。広大な敷地内に枯山水庭園と池泉回遊式庭園がある。
仁和4年(888)、比叡山延暦寺の塔頭として創建された。御所から東北に位置し、鬼門に当たることから、古来、方除け、厄除けの祈願所として御所を守り、また広く人々の信仰を集めてきた。本殿には「皇城表鬼門」と大書され、拝殿の屋根の上には比叡山を守護する日吉大社の神猿の像が鎮座している。ここは「都七福神」の一つである福禄寿の寺でもあり、福禄寿神の姿をした「お姿みくじ」が人気だ。
鎌倉末期、日尊上人が創建した日蓮本宗本山。1万3500平方mの広大な境内には、清涼池をはじめ、本堂、開山堂、鐘楼、庫裏、書院などの堂宇を数え、堂々たる風格がある。
もとは比叡山西塔にあり東尾坊と呼ばれたが、その後各地を巡り、明暦2年(1656)桂離宮を造営した八条宮智仁[としひと]親王の子である良尚法親王(天台座主)によりこの地に建てられた。数寄屋造の大書院(重要文化財)には主座敷が2間あり、間仕切りの卍くずしの欄間の意匠などに桂離宮の影響がうかがえるところから「小さな桂離宮」ともいわれている。続く小書院(重要文化財)の襖絵は狩野探幽作と伝えられ、黄昏の間には10種類の寄せ木で造られた「曼殊院棚」と呼ばれる違い棚がある。書院前の枯山水庭園(名勝)は、5月のツツジ、11月の紅葉のころが特に美しい。八窓茶室(重要文化財)は小堀遠州好みと伝えられている。
徳川家康が教学の発展を図るために建立した圓光寺学校がはじまり。明治以降は近年まで臨済宗尼僧専門道場であった。所蔵している古文書、墨蹟は900点余り。日本最古の木活字5万4000個(重要文化財)円山応挙作「竹林図屏風(重要文化財)」、富岡鉄斎の「米點山水図」などを拝観することができる。庭園は山門を入ると枯山水「弄龍庭」が眼前に広がり、さら中門を抜けると苔と紅葉で有名な「十牛之庭」がある。水琴窟、栖龍池とともに洛北の静寂さを醸し出している。
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