
毛越寺 大泉が池
毛越寺境内にある、浄土庭園の中心となる池。東西約180m、南北約90m。東南隅に洲浜が入江をつくり、かたわらに荒磯を表した石組の出島がある。池の中央には島、水辺には美石を並べ、龍頭鷁[げき]首の船を浮かべたという。ゆるやかに流れる、全長80mの遣水も注ぐ。池の周囲は、桜・ツツジ・花ショウブ・蓮・萩など四季の花々が囲み、5月第4日曜には曲水の宴といわれる平安時代の歌遊びが繰り広げられる。
- 「平泉駅」から徒歩14分
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毛越寺境内にある、浄土庭園の中心となる池。東西約180m、南北約90m。東南隅に洲浜が入江をつくり、かたわらに荒磯を表した石組の出島がある。池の中央には島、水辺には美石を並べ、龍頭鷁[げき]首の船を浮かべたという。ゆるやかに流れる、全長80mの遣水も注ぐ。池の周囲は、桜・ツツジ・花ショウブ・蓮・萩など四季の花々が囲み、5月第4日曜には曲水の宴といわれる平安時代の歌遊びが繰り広げられる。
東北の主要道となる国道4号沿い。北東北のゲートウエイに位置する道の駅として、地元・平泉の世界文化遺産をはじめ、三陸沿岸部を含めた岩手・青森・秋田三県の観光情報を発信する。地域農産物や特産物などを販売する物産館と、地元食材を使ったメニューを提供するレストランを併設。
奥州藤原氏が、経典を土中に埋納する「経塚」を営んだ地。山頂には雌雄一対の黄金の鶏像が埋められているという伝説も残る。登山口には源義経の妻子の墓と伝わる石塔がある。
藤原秀衡[ひでひら]が京都・宇治の平等院鳳凰堂にならって建てたという寺院の跡。平等院よりも大きかったと言われるが、火災で消失してしまった。ここから中尊寺へ向う前に4~5分東へ道をそれると、奥州藤原氏時代の政庁であった平泉館跡といわれる柳之御所遺跡(史跡)[やなぎのごしょいせき]がある。
世界遺産・金鶏山の麓にあり、中尊寺と毛越寺の間に位置する町営の日帰り温泉施設。大浴場と風呂上がりにくつろげる休憩室を備える。
奥州藤原氏の政庁(平泉館)跡と推定される場所。発掘調査によって、堀、建物、池、塀などの遺構をはじめ多彩な遺物が出土している。柳之御所遺跡出土資料は岩手県立平泉世界遺産ガイダンスセンターで公開している。
中尊寺東方の高館は、藤原秀衡を頼って落ち延びた源義経の館があった場所。山頂の義経堂には、義経公の尊像が安置されている。芭蕉が「夏草や兵共が夢の跡」と詠んだ地でもあり、入口の階段を上った右側には芭蕉や曽良[そら]の句碑が立つ。眼下に衣川、北上川も眺望できる。春から初夏にかけてはツツジが美しい。
嘉祥3年(850)、中尊寺と同じく慈覚大師が開いた天台宗の別格本山。藤原基衡・秀衡の時代、金銀をちりばめ、紫檀、赤木をつぎ、万宝を尽くしたといわれる伽藍や堂塔40、僧坊500が建ち並んでいた。吾妻鏡に霊場の「荘厳吾朝無双なり」と記され、中尊寺をしのぐ華麗さを誇ったといわれるが、嘉禄2年(1226)の大火を初めとする相次ぐ兵火や野火で焼失。現在は再建された本堂や常行堂などが立ち、浄土庭園が平安の頃と変わらぬ美しさを見せている。
毛越寺境内に2代藤原基衡が造園した、日本最古の浄土庭園。州浜や築山、出島石組と池中立石が配された大泉ケ池を中心に、浄土を地上に表現したといわれる。平安時代の作庭様式を伝える貴重な遺構の遣水は、池に水を取り入れるための水路。玉石を底に敷きつめ、水の曲がり角や池への注ぎ口には石組みが配されている。毎年5月第4日曜、平安貴族の装束をまとった歌人たちが遣水に盃を流し、和歌を詠む曲水の宴が優雅に行われる。国特別史跡、特別名勝。世界遺産。
毛越寺境内にある宝物館。国の重要文化財に指定されている「鉄樹」や、重要無形文化財に指定されている「延年の舞」に使われる道具、支院の仏像などの宝物を収蔵・展示している。
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