
愛宕念仏寺
本尊は千手観音。平安時代から厄除けの観音様として厚く信仰されている。春はシャガ、秋は紅葉の羅漢寺として親しまれているこの寺には、境内に1200躰もの表情豊かな石造の羅漢さんが並び、訪れる人々の心を和ませてくれる。嵯峨野めぐりにはここを出発点とする「嵯峨野散策モドルコース」がおすすめ。「清滝行き」の京都バスに乗れば、嵐山周辺からの上り坂も楽々。後の見所は全て下り坂コースになるので帰り道も安心。ここが嵯峨野めぐりの始発点だ。
- 「トロッコ保津峡駅」から徒歩25分
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本尊は千手観音。平安時代から厄除けの観音様として厚く信仰されている。春はシャガ、秋は紅葉の羅漢寺として親しまれているこの寺には、境内に1200躰もの表情豊かな石造の羅漢さんが並び、訪れる人々の心を和ませてくれる。嵯峨野めぐりにはここを出発点とする「嵯峨野散策モドルコース」がおすすめ。「清滝行き」の京都バスに乗れば、嵐山周辺からの上り坂も楽々。後の見所は全て下り坂コースになるので帰り道も安心。ここが嵯峨野めぐりの始発点だ。
鳥居本には、茅葺屋根の民家が数多く残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。保存館は明治時代初期に建てられた民家を当時の姿のまま公開しており、建物や内装そのものが展示物となっている。また、昭和初期の鳥居本の町並みを再現した模型も展示している。
ひなびた茅葺き屋根の庵は、松尾芭蕉の高弟である向井去来[むかいきょらい]の草庵跡。芭蕉も訪れ「嵯峨日記」を著した。草庵の玄関にはかつての主の在宅を告げた蓑と笠がかけられ、庭には俳句の季語となる草木とともに去来や芭蕉などの句碑が立ち、投句箱もある。登録有形文化財。
日本でほかにないとされる、髪の神社。境内には、献髪を納めた髪塚もあり、髪の恩恵に感謝する大祭も行われている。
野宮神社から天龍寺の北側を通って大河内山荘庭園へ通じる長さ400mほどの見事な竹林の小径。青々とした竹は空を覆うほど高く、晴れた日は竹林からもれる日差しを浴びて、気持ちよく散策できる。天気が悪いと昼でもほの暗いがそれもまた趣がある。夕暮れ時も幻想的で、まるで異次元に迷い込んだかのよう。京を代表する風景であり、テレビドラマなどにもよく登場する。
『平家物語』の遺跡として、昭和になって再建された寺。平重盛に仕え、宮中の滝口の侍になった斎藤時頼は、建礼門院に仕える横笛との結婚を望むが父に反対され、落胆のあまり出家。滝口入道と呼ばれた。それを知って訪れた横笛に会おうとはせず、高野山に入ったという。本堂に悲恋の2人の木像があり、参道には横笛の歌碑が立つ。
伊勢神宮の斎宮に選ばれた皇女が、潔斎のためにこもった所。クヌギの丸太を組んだ黒木の鳥居や小柴垣の簡素な佇まいの小さな社で、『源氏物語』の「賢木」の巻、謡曲『野宮』などに描かれた当時の様子を彷彿とさせる。今では縁結び、進学の神社として知られるようになった。
釈迦如来立像(重要文化財)と阿弥陀如来立像(重要文化財)の2像を本尊とすることから、二尊院と呼ばれる。平安時代初期に嵯峨天皇が慈覚大師を開祖に建立。法然が庵を結び、弟子の湛空が再興した。藤原定家の山荘「時雨亭」[しぐれてい]跡がある。春の桜、秋の紅葉は圧巻。新緑も見ごたえがある。
大覚寺が嵯峨天皇の離宮だった時代に、その林泉として造られたもの。周囲約1kmの池の堤には、桜や紅葉、松が植えられ、池の中には天神島と菊ケ島が浮かぶ。北には、百人一首の藤原公任[ふじわらのきんとう]の歌で知られる名古曾[なこそ]の滝跡とする滝組跡も残る。古来、観月の名所としても知られる。
小倉山の中腹にある名刹で、秋の紅葉の美しさでも知られている。静寂な寺の佇まいが天台四土の一つ常寂光土を思わせるところから、寺名となった。茅葺きの仁王門には運慶作と伝えられる仁王像が立っている。檜皮葺きの多宝塔(重要文化財)は、江戸時代の建築ながら華麗な桃山様式を伝えている。
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