横道川~高津川一帯のほたる
横道川の川沿いは、山が迫り辺りは真っ暗なため、ほたるがいっせいに点滅する様は、まさに星空の世界のよう。観賞できるのはゲンジボタル。
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横道川の川沿いは、山が迫り辺りは真っ暗なため、ほたるがいっせいに点滅する様は、まさに星空の世界のよう。観賞できるのはゲンジボタル。
「山陰の小京都」と言われる700年の歴史と文化を持つ津和野町にある道の駅。道の駅には温泉「あさぎりの湯」が併設されており、和風・洋風2タイプの趣の異なった風呂を楽しむことができる。また、月に2回、伝統芸能である石見神楽を行うほか、地元の工芸品である竹細工や神楽面の色付け体験ができるなど、さまざまな楽しみ方を提供。そのほか町の特産品やみやげが充実した売店「物販みち草」や新鮮な野菜の直売所「新鮮市場 あおの」、地元の食材を中心とした「レストラン あかね雲」や手ぶらで楽しめるバーベキュー施設などが並ぶ。
JR津和野駅の西方、ほたるの里とも呼ばれる部栄地区は緑豊かな山あいの里。6月には里の中を流れる津和野川にほたるがたくさん見られる。
応永27年(1420)に津和野城主吉見頼弘[よしみよりひろ]が創建した、歴代津和野城主の菩提寺。江戸時代は曹洞宗の西日本本山として栄えた。どっしりとした茅葺き屋根の本堂や経蔵、書院などの建物は、享保14年(1729)に再建されたもの。山門にかかる「覚皇山」の額は、明の帰化僧で水戸光圀[みとみつくに]に迎えられた心越[しんえつ]禅師の書だ。山門左手に森鴎外、本堂裏には大坂夏の陣で徳川家康の孫娘千姫を救出した坂崎出羽守の墓がある。
津和野の縄文時代~現代の歴史資料、約1000点を展示している。特に旧藩政時代~近代の資料が充実しており、藩校養老館の教科書や武芸書、西周がオランダで買い求めたという顕微鏡など、歴史を物語る資料が揃う。国の登録有形文化財。
津和野独特の赤瓦と白壁が美しい、江戸時代の筆頭庄屋の屋敷を修復した個人美術館。館内には津和野出身の画家・中尾彰[しょう]と夫人の吉浦摩耶の作品を展示している。太い梁が組まれた民芸調の広い展示室には中尾の連作『林の女人たち』、吉浦の200号の大作『セーヌの女たち』などが並び、スペインの画家、ゴヤの銅版画『闘牛技シリーズ』も見られる。また、美術館本館及び門は国指定登録有形文化財(建物)に登録されている。所要20分。
道の駅津和野温泉なごみの里内にある日帰り温泉施設。和風と洋風の2タイプがあり、和風には大浴槽・樽風呂・遠赤外線サウナ・水風呂、洋風には大浴槽・ジャグジー・ミストサウナ・打たせ湯が揃う。露天風呂は、週1回、漢方薬湯やレモン湯など季節の湯を実施。和風と洋風は週替わりで入替えになる。家族風呂(貸切風呂)や湯上がりに利用できる無料休憩室のほか、有料休憩室も完備。
津和野駅の西、乙女峠に立つ小さな聖堂。明治元年(1868)新政府はキリスト教を禁じ、長崎県浦上の潜伏キリシタン3400人余を全国22ヵ所に流罪とし、拷問により改宗を強制した。このうち153人が乙女峠の光琳寺[こうりんじ]跡に収容され、37人が殉教した。彼らの霊を慰めるため、昭和23年(1948)にドイツ人神父ネーベルが建てたのがこの聖堂。堂内には殉教者を描いたステンドグラスがはめこまれている。5月3日には乙女峠まつりが行われる。
「三本松城」「蕗城」ともよばれる津和野城は、鎌倉時代に吉見頼行が30年かけて築城した山城。当時は土塁だけであったが慶長6年(1601)に入城した坂崎出羽守が石垣を築き、出丸として織部丸[おりべまる]を増築するなど強化に努め、亀井氏に受け継がれた。建物は明治7年(1874)に取り壊され、現在は東門、天守台、出丸などの石垣が往時の堅固な城の面影を伝え、史跡に指定されている。一帯は木々に覆われて散策によく、秋はモミジの紅葉が美しい。
良水に恵まれた津和野は江戸時代から酒造りが盛ん。津和野の代表的な地酒高砂や、鴎外で知られる造り酒屋の財間酒場では、かつての酒蔵を高砂酒蔵資料館の名で公開。酒米を蒸す大釜や酒を絞る石船など、昔の酒造りの道具を見ることができる。
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