-
戦国時代の典型的山城
「三本松城」「蕗城」ともよばれる津和野城は、鎌倉時代に吉見頼行が30年かけて築城した山城。当時は土塁だけであったが慶長6年(1601)に入城した坂崎出羽守が石垣を築き、出丸として織部丸[おりべまる]を増築するなど強化に努め、亀井氏に受け継がれた。建物は明治7年(1874)に取り壊され、現在は東門、天守台、出丸などの石垣が往時の堅固な城の面影を伝え、史跡に指定されている。一帯は木々に覆われて散策によく、秋はモミジの紅葉が美しい。
「三本松城」「蕗城」ともよばれる津和野城は、鎌倉時代に吉見頼行が30年かけて築城した山城。当時は土塁だけであったが慶長6年(1601)に入城した坂崎出羽守が石垣を築き、出丸として織部丸[おりべまる]を増築するなど強化に努め、亀井氏に受け継がれた。建物は明治7年(1874)に取り壊され、現在は東門、天守台、出丸などの石垣が往時の堅固な城の面影を伝え、史跡に指定されている。一帯は木々に覆われて散策によく、秋はモミジの紅葉が美しい。
営業時間 |
リフトは9時~16時30分(下り最終運行16時30分)
|
---|---|
定休日 |
リフトは12~2月の平日、臨時運休あり
|
料金 |
見学自由(リフトは往復450円~)
|
住所 |
島根県津和野町後田
|
交通アクセス |
中国道六日市ICから国道187号経由35km1時間
JR津和野駅→石見交通バス鴎外旧居・長野行きで5分、バス停:森下車、徒歩10分でリフト乗り場、リフトで5分、終点下車、本丸跡まで徒歩20分
|
電話番号 |
0856720376
|
情報提供:株式会社JTBパブリッシング
2025/08/01
2025年08月02日 00時00分発表天気情報提供元:ウェザーニュース
時刻 | 0時 | 3時 | 6時 | 9時 | 12時 | 15時 | 18時 | 21時 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
天気 |
晴 |
晴 |
晴 |
晴 |
晴 |
晴 |
晴 |
晴 |
気温 |
24°C |
25°C |
24°C |
29°C |
35°C |
35°C |
29°C |
26°C |
降水量 |
0mm |
0mm |
0mm |
0mm |
0mm |
0mm |
0mm |
0mm |
風向き |
北北東 |
北 |
北東 |
北 |
北 |
北 |
北 |
北東 |
応永27年(1420)に津和野城主吉見頼弘[よしみよりひろ]が創建した、歴代津和野城主の菩提寺。江戸時代は曹洞宗の西日本本山として栄えた。どっしりとした茅葺き屋根の本堂や経蔵、書院などの建物は、享保14年(1729)に再建されたもの。山門にかかる「覚皇山」の額は、明の帰化僧で水戸光圀[みとみつくに]に迎えられた心越[しんえつ]禅師の書だ。山門左手に森鴎外、本堂裏には大坂夏の陣で徳川家康の孫娘千姫を救出した坂崎出羽守の墓がある。
亀井家8代矩賢[のりかた]が天明6年(1786)に創設し、西周や森鴎外など多くの人材を輩出した藩校跡。儒学・兵学・医学・数学と、幕末には蘭学も教えていた。当初は下中島堀内にあったが、津和野の大火で焼失、安政2年(1855)にこの地に移された。現在残っているのは武道場と槍術場・文庫のみ。建物内では養老館の歴史、出身者などをパネルで紹介している。島根県指定史跡。所要30分。
津和野町出身の画家、安野光雅の美術館。漆喰の白壁に瓦を葺いた酒蔵のような外観が目印。館内は展示室のほか、昭和初期の学校の教室を再現した「昔の教室」や、安野作品をはじめとした絵本、美術書を自由に閲覧できる図書室などがある。津和野の四季折々の夜空を映し出すプラネタリウムも設置。また、自宅のアトリエもそのまま再現されており、ファン必見のポイントとなっている。玄関ロビーの壁面は、安野氏デザインの魔方陣タイルで装飾されている。所要1時間。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。