物部神社
『延喜式[えんぎしき]』に記載された式内社で石見国一の宮。優美なカーブを描く本屋根までの高さが16mに及ぶ本殿は、宝暦3年(1753)の再建。県内では出雲大社本殿に次ぐ規模といわれ、あたりを払う威厳を漂わせている。
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『延喜式[えんぎしき]』に記載された式内社で石見国一の宮。優美なカーブを描く本屋根までの高さが16mに及ぶ本殿は、宝暦3年(1753)の再建。県内では出雲大社本殿に次ぐ規模といわれ、あたりを払う威厳を漂わせている。
鳴り砂で知られる琴ヶ浜から3kmほど離れたところにある、「砂」、「時」、「環境」をテーマとした博物館。ガラス張りのピラミッドが林立する外観が印象的で、館内には鳴り砂の資料や世界の砂の標本を展示するコーナー、サンドアート体験や砂の標本づくりができる環境ホール(ワークショップコーナー)などがある。タイムホールの1年かけて砂を落とす高さ5.2mの世界最大級の一年計砂時計「砂暦」は必見。隣接するふれあい交流館では、サンドブラストやクリアキャンドルなど3種類のガラス工芸体験(所要30分~1時間)が楽しめる。
羅漢寺は高野山真言宗の寺院。見どころは本堂の向かい側にある左右の岩窟内に250体ずつ安置した五百羅漢像。中央には釈迦三尊を祀る。銀山で亡くなった坑夫を弔って、明和3年(1766)まで25年ほどかけて作られた。当時から、五百羅漢に参拝すれば501体の顔の中に亡くなった親や我が子を見つけることができると言われ、今でも参拝者が絶えない。本堂内では創建当時から本尊の下をくぐる「胎内くぐり」ができ、悪縁を断ち切った生まれ変わった身体で、本堂裏の縁切り羅漢に参拝するのが作法という。縁切りと、縁結びの両縁参りの寺院だ。
約1.4kmに渡って続く美しい海水浴場で、浜を歩けば足元でキュキュッと音がする鳴砂で知られる。源平の合戦で敗れた平家の姫がこの浜辺に流れ着き、助けてくれた村人たちへのお礼として奏でた琴の音色が浜辺に宿り、砂浜が鳴るようになったという言い伝えが残る。
江戸時代、石見銀山を治めた代官所跡に立つ資料館。館名はサツマイモ栽培を奨励し飢饉を回避した「芋代官」こと代官・井戸平左衛門に因む。建物は明治後期建築の旧邇摩郡役所。表門・門長屋は文化12年(1815)建築で代官所往時のもの。館内では、いも代官をはじめとする歴代の代官ゆかりの資料を中心に代官所の仕事や大森の町並みの歴史などを紹介。500年の歴史を凝縮した町並みの俯瞰図や石見銀山年代記も見どころ。企画展や学芸員による講座やイベントも開催。ミュージアムショップでは石見銀山関連書籍や鉱石標本などを販売。
自然豊かな田舎の景色を眺めながら、郷土の味を味わえるレストランを併設。箱寿司の名で古くから祭りに供された押し寿司や三瓶そば、地魚コロッケなどがセットのおおだ名物御膳1300円や大田のふっくらあなご丼など、ご当地名物の定食が豊富に揃う。
龍源寺間歩を通り抜け下った先の栃畑谷に鎮座する神社で、鉱山の守り神である金山彦命を祀る。銀山を支配した代々の権力者の崇敬を受け、境内には豪壮な社殿や苔むした石段が残されている。
銀山支配をめぐって争った大内氏と毛利氏の崇敬を受けた神社。文化9年(1812)に再建された拝殿の天井に鳴き龍が描かれている。
平成8年(1996)に完成した多目的ダム。ダム湖「さひめ湖」の周囲にはオートキャンプ場やテニスコートがあり、農産物直売所もある。
石見銀山と温泉津[ゆのつ]を結ぶ銀山街道を挟んで矢滝城と対峙するようにあったのが矢筈城。矢滝城と一対となって銀山防備の要衝となっていた。標高480mの山上に築かれた年代は不詳だが、戦国時代には毛利氏や尼子氏の攻防の記録がある。山上の城跡は細長い主郭部と南下の腰曲輪から成り、北側の尾根にも曲輪群があって土塁が残る。国指定史跡で、世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産の1つとなっている。分かりにくいのでガイドと一緒の登山がおすすめ。
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