大森の町並み
江戸時代、幕府の直轄地だった石見銀山の中心の町。大正12年(1923)に鉱山は閉山したが、銀山川の細流沿いに赤瓦と土壁の家が軒を連ねる町並みが状態よく残り、伝統的建造物群保存地区に指定されている。白壁の旧旅籠や商家が並び、趣がある。
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江戸時代、幕府の直轄地だった石見銀山の中心の町。大正12年(1923)に鉱山は閉山したが、銀山川の細流沿いに赤瓦と土壁の家が軒を連ねる町並みが状態よく残り、伝統的建造物群保存地区に指定されている。白壁の旧旅籠や商家が並び、趣がある。
代官所地役人だった河島家の住宅。1800年代初頭に建てられた屋敷を復元修理し公開。建物や庭の配置など、武家屋敷の特徴を良く伝えている。
石見銀山と温泉津[ゆのつ]を結ぶ銀山街道を挟んで矢滝城と対峙するようにあったのが矢筈城。矢滝城と一対となって銀山防備の要衝となっていた。標高480mの山上に築かれた年代は不詳だが、戦国時代には毛利氏や尼子氏の攻防の記録がある。山上の城跡は細長い主郭部と南下の腰曲輪から成り、北側の尾根にも曲輪群があって土塁が残る。国指定史跡で、世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産の1つとなっている。分かりにくいのでガイドと一緒の登山がおすすめ。
江戸幕府直轄の御直山[おじきやま]とよばれた間歩(坑道)の1つ。現在公開されている間歩のうち、通り抜けできるのがこの龍源寺間歩。全長600mのうちの約3分の1にあたる157mが公開されている。当時の技術では、掘子(鉱山労働者)が1日に掘り進める距離は30cmほどであった。坑道の壁面には当時のノミの跡がそのまま残っている。一帯は「石見銀山遺跡」として国指定史跡になっており、世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」としても登録されている。
温泉街の東の丘に広がる、温泉津焼の窯元が集まるエリア。2基の巨大な登り窯を中心に、3軒の窯元が創作活動を続けている。やきもの館(料金:体験込み2000円、時間:9~16時)では、陶芸体験にチャレンジできる。
明治28年(1895)に建設された大型の製錬所跡。最新の近代的設備を持っていたが、わずか1年半で閉鎖された。山の斜面に石積みの遺構が残されている。
石見銀山内で最も有力な商家。江戸時代建造の屋敷を修復公開している。500坪の敷地の中に広大な主屋と5つの蔵が点在。その中に江戸、明治、大正、昭和時代の多くの家財道具が展示され、季節毎のしつらいや暮らしの様子が伺える。
三瓶山の西麓に広がる西の原の草原から脇道を入った所にある湖。飛鳥時代の後期に地震によって男三瓶と子三瓶の間が崩壊し、渓流をせき止めて形成されたといわれる周囲約3kmの堰止め湖。標高1126mの男三瓶山と標高961mの子三瓶山の2つの峰が連なる姿を湖面に写し、絵ハガキのような美しい絶景が楽しめる。大蛇伝説が伝わり、『万葉集』で詠んだ柿本人麻呂の和歌でも知られる。
島根県の中心に位置する国立公園三瓶山は6つの峰が円を描くように形成されている火山で、主峰の男三瓶から広がる三瓶山自然林は国の天然記念物に指定されており、秋には色鮮やかな紅葉を楽しむことができる。三瓶山は、周辺にもさまざまなレジャーや温泉施設も充実していることから年間を通して多くの観光客が訪れる。登山客も多く、初心者から上級者まで、体力にあわせて登山コースを選べる。
『延喜式[えんぎしき]』に記載された式内社で石見国一の宮。優美なカーブを描く本屋根までの高さが16mに及ぶ本殿は、宝暦3年(1753)の再建。県内では出雲大社本殿に次ぐ規模といわれ、あたりを払う威厳を漂わせている。
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