
熊野古道(熊野参詣道)
熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社・那智山青岸渡寺の三社一寺の総称)に通じる信仰の道。上皇や貴族の熊野御幸から始まり、武士や庶民に至るまで多くの人々が訪れ、切れ間なく旅人の行列ができた様子から「蟻の熊野詣」ともよばれた。ルートは複数あるが、京・大阪からの紀伊路を経て、田辺から熊野本宮に至る中辺路[なかへち]をメインに、高野山からの小辺路[こへち]、田辺から海岸線沿いに新宮へ向かう大辺路[おおへち]、伊勢からの伊勢路などがある。
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熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社・那智山青岸渡寺の三社一寺の総称)に通じる信仰の道。上皇や貴族の熊野御幸から始まり、武士や庶民に至るまで多くの人々が訪れ、切れ間なく旅人の行列ができた様子から「蟻の熊野詣」ともよばれた。ルートは複数あるが、京・大阪からの紀伊路を経て、田辺から熊野本宮に至る中辺路[なかへち]をメインに、高野山からの小辺路[こへち]、田辺から海岸線沿いに新宮へ向かう大辺路[おおへち]、伊勢からの伊勢路などがある。
文久3年(1863)に尊皇攘夷を訴え挙兵した天誅組の志士8人が、再挙を計って小又川へ逃れたが、同年9月22日に自首し、幽閉された倉。復元された茅葺屋根に白壁の倉の内部には、天誅組のリーダー水郡[にごり]長雄が血書した辞世の歌なども残っている。
熊野川と音無川、岩田川の合流点にある中洲で、明治時代の大洪水で流失するまで、ここに熊野本宮大社の社殿があった。現在は広い境内に、石祠を2基残すのみだが、清浄な雰囲気がかつての社地の名残りを留めている。入口には日本最大の大鳥居が立ち、春は花見の名所としても知られる。
熊野本宮大社や熊野古道の伏拝王子にもほど近く、古道歩きの拠点やおみやげ探しに便利な道の駅。『熊野御幸記』のイラスト解説も展示。食事は軽食(麺類、めはり寿司等)のほか、中で購入した弁当を食べられるイートインコーナー(10~17時)も設けられている。軽食は10~14時、ソフトクリーム・コーヒーは9~17時。
熊野三山の一つ。鳥居から158段の石段を上ると、神門の向こうに四社殿が立つ。左から夫須美大神を祀る西御前(第一殿)、速玉大神を祀る中御前(第二殿)を合わせた相殿、その右隣に熊野造の証誠殿が立ち、主祭神の家津御子大神を祀る本殿となっている。さらに右隣の若宮(第四殿)には天照大神が祀られている。伝承によると、社殿創建は今から2020年ほど前の崇神天皇の時代。大斎原[おおゆのはら]に鎮座していたが、明治22年(1889)の大洪水で一部社殿が流失し、現在の地に遷座された。宝物殿では、『熊野本宮八葉曼荼羅』や国指定重要文化財の鉄製大湯釜などを展示。
河原に温泉が湧き、天然の露天風呂が楽しめる川湯温泉にある公衆浴場。素朴な浴場に小振りの浴槽が備わり、高温のナトリウム-炭酸水素塩・塩化物温泉が注がれている。じっくり浸かれば神経痛・筋肉痛・関節痛などに効果があり、銭湯感覚で利用されている。
和歌山県の無形文化財である紀州備長炭は、田辺市秋津川が発祥の地。硬質で純度が高く、遠赤外線を発して食べ物をおいしく焼き上げる燃料としてだけではなく、飲料水の浄化など多彩な活用法がある。この施設では炭窯の見学ができ、備長炭マドラーなど、各種の備長炭製品も販売している。園内には、炭窯、炭を使った商品を取り揃えている売店、炭の資料などを展示している発見館、炭を使った料理を提供している食事処「備長の郷」があり、いろいろと楽しめる。
熊野古道の要所であり、五体王子の次に重要とされた王子。日置川に架かる北野橋を渡ってすぐの所に近露王子之跡と刻まれた自然石の碑がある。また、江戸時代に宿場町として栄えた、近露の里の山里風景も広がる。
チベットの僧たちが戦火を逃れてインドに渡り、日本へもたらされた極彩色で繊細に描かれたチベット曼荼羅や仏画など、貴重な仏教資料を収蔵公開する施設。
熊野の神々を祭る熊野本宮大社の神域に入る地に立つとされた重要な王子社。発心とは仏門に入り修行を始めることで、ここが聖域への入口を意味している。現在では鳥居と朱色の社殿があり、秋には周囲の木立が紅葉に染まる。
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