
歴史資料館
南木曽町博物館のひとつ歴史資料館は、南木曽町で出土した縄文時代の土器、山仕事に使用されていた民具など約200点の資料を展示。原始から近現代までに渡る自然や生活の変遷を紹介。全国にさきがけて実施した町並み保存に関する資料も必見。
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南木曽町博物館のひとつ歴史資料館は、南木曽町で出土した縄文時代の土器、山仕事に使用されていた民具など約200点の資料を展示。原始から近現代までに渡る自然や生活の変遷を紹介。全国にさきがけて実施した町並み保存に関する資料も必見。
木曽川に注ぐ柿其川は、約8kmにわたって続く、滝や淵の渓谷美がすばらしい。河口にあたる、柿其峡は切り立った白い花崗岩[かこうがん]と藍色の水が織りなす景観が見事。さらに林道を行き、柿其温泉を過ぎると、江戸時代の農家を移築した休憩処、杣[そま]の家がある。岩の水路を通って落ちる牛ケ滝へはここから徒歩15分ほど。十二兼駅から歩くと約1時間30分のハイキングコースだ。
全て国産材から器を作り出す伝統工芸品とダイニングテーブル、椅子、指物家具の専門店。漆の工房もあり、すべて自社で作り上げる。オーダーメイドの器・家具対応可。手挽きろくろ体験(要予約)所要時間1時間料金3000円(税別、送料別途)。
350年前に創建されたとされる曹洞宗の寺。南木曽町では円空によって彫られた仏像が6体見つかっているが、うち3体がこの寺に納められている。境内左手の円空堂には、貞享3年(1686)に制作された記録が残る弁財天十五童子像と天神像、庫裏の玄関脇に全長48cmの韋駄天像[いだてんぞう]があり、いずれも南木曽町の有形文化財。
中山道の東側にある滝で、清々しい水の音が辺りの山林に響いている。水量の多い方が男滝、奥にある水量の少ない方が女滝だ。また、吉川英治[よしかわえいじ]著の『宮本武蔵』に登場し、武蔵とお通[つう]の恋物語の舞台にもなっている。滝壺に金の鶏が舞い込んだという倉科様[くらしなさま]伝説も興味深い。
光徳寺の石段の下に建てられた小さな祠に、地蔵尊の寝姿が浮き出ている自然石が祭られている。文化10年(1813)に光徳寺住職中外[ちゅうがい]和尚が、蘭[あららぎ]川から運んできて安置したもの。4月23・24日の例祭が近づくと夜露で石が濡れてくるため汗かき地蔵ともよばれ、玉の汗を流して迷える女性を救うといわれている。
馬籠宿と妻籠宿の中間にある一石栃[いちこくとち]は、古くから旅人が疲れを癒す休憩地として栄えたところ。往時は界隈に7軒ほどの家が立っていたが、現在残るのは牧野家ただ1軒となる。南側が取り壊され、規模はやや縮小したものの、江戸時代後期の姿を今にとどめている。
電力王・福沢桃介が読書発電所建設のための拠点として建てた別荘で、大正8~13年(1919~24)頃にかけて滞在した。現在の建物は平成9年(1997)に復元したもの。館内では愛人・川上貞奴[さだやっこ]をはじめ、発電所建設に携わった人々の写真や手紙、桃介橋の設計図などを展示している。隣には山の歴史館が立つ。明治33年(1900)に旧妻籠宿本陣跡地に建てられた旧御料局妻籠出張所を移築したもので、木曽の木材の歴史を紹介している。所要15分。
檜、サワラなどの木曽五木をはじめとする、伐採禁止木の出荷を監視していた番所の跡地。当時は無断で木曽の木を持ち出すと「木一本首一つ」といわれるほど罰則が厳しかった。もとは妻籠の下り谷にあったが、寛延2年(1749)の山崩れにより一石栃に移され、以後統制は明治2年(1869)の藩籍奉還まで続いた。現在は木の柵が復元され、標示板が掲げられている。
妻籠宿見学の中心となる施設で、南木曽町の歴史や生活、自然を紹介。現存する脇本陣奥谷(重要文化財)と復原された妻籠宿本陣、歴史資料館の3館で構成される。所要総合45分。
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