
等覚寺
350年前に創建されたとされる曹洞宗の寺。南木曽町では円空によって彫られた仏像が6体見つかっているが、うち3体がこの寺に納められている。境内左手の円空堂には、貞享3年(1686)に制作された記録が残る弁財天十五童子像と天神像、庫裏の玄関脇に全長48cmの韋駄天像[いだてんぞう]があり、いずれも南木曽町の有形文化財。
- 「南木曽駅」から徒歩17分
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350年前に創建されたとされる曹洞宗の寺。南木曽町では円空によって彫られた仏像が6体見つかっているが、うち3体がこの寺に納められている。境内左手の円空堂には、貞享3年(1686)に制作された記録が残る弁財天十五童子像と天神像、庫裏の玄関脇に全長48cmの韋駄天像[いだてんぞう]があり、いずれも南木曽町の有形文化財。
大妻籠にある古民家で、17世紀中頃に建てられた、県内の民家でも有数の歴史ある建物。昭和53年(1978)県宝に指定された。
電力王・福沢桃介が読書発電所建設のための拠点として建てた別荘で、大正8~13年(1919~24)頃にかけて滞在した。現在の建物は平成9年(1997)に復元したもの。館内では愛人・川上貞奴[さだやっこ]をはじめ、発電所建設に携わった人々の写真や手紙、桃介橋の設計図などを展示している。隣には山の歴史館が立つ。明治33年(1900)に旧妻籠宿本陣跡地に建てられた旧御料局妻籠出張所を移築したもので、木曽の木材の歴史を紹介している。所要15分。
光徳寺の石段の下に建てられた小さな祠に、地蔵尊の寝姿が浮き出ている自然石が祭られている。文化10年(1813)に光徳寺住職中外[ちゅうがい]和尚が、蘭[あららぎ]川から運んできて安置したもの。4月23・24日の例祭が近づくと夜露で石が濡れてくるため汗かき地蔵ともよばれ、玉の汗を流して迷える女性を救うといわれている。
全て国産材から器を作り出す伝統工芸品とダイニングテーブル、椅子、指物家具の専門店。漆の工房もあり、すべて自社で作り上げる。オーダーメイドの器・家具対応可。手挽きろくろ体験(要予約)所要時間1時間料金4400円(税別、送料別途)。
馬籠宿と妻籠宿の中間にある一石栃[いちこくとち]は、古くから旅人が疲れを癒す休憩地として栄えたところ。往時は界隈に7軒ほどの家が立っていたが、現在残るのは牧野家ただ1軒となる。南側が取り壊され、規模はやや縮小したものの、江戸時代後期の姿を今にとどめている。
南木曽町博物館のひとつ。妻籠宿の脇本陣・造り酒屋であった林家の屋敷で、「奥谷」とは林家の屋号。現在の建物は木曽五木[ごぼく]の禁制が解かれた明治10年(1877)に建築され、総檜造り。当時の粋を集めて建てられた。島崎藤村の初恋の人「おゆふさん」の嫁ぎ先でもあり、敷地内の土蔵には肖像画や愛用品、藤村から送られた書などゆかりの品が展示されている。また、平成13年(2001)6月15日付で南木曽町博物館で「脇本陣奥谷」として公開されている「林家住宅」の主屋、文庫蔵、土蔵、侍門が国の重要文化財に指定された。
桝形とは、宿場の出入り口に必ず設けられた直角に折れる道。かつて幕府により防塞[ぼうさい]施設としての役割も担わされていた宿場は、街道を2度、直角に折り曲げて外敵の侵入を防いだという。妻籠の桝形は、観光案内所から下嵯峨屋までの70mの間にあり、当時の形がくっきりと分かる姿で保存されている。江戸幕府の統治の一端が垣間見える、興味深い場所だ。
南木曽町博物館のひとつで、宿駅が制定されてから代々妻籠宿の本陣・庄屋を務めた島崎家の邸宅。藤村の母ぬいの生家でもある。明治20年(1887)代に一度取り壊されたが、江戸時代後期の間取り図を元に再建された。島崎家の居住と、大名が泊まった御上段の間や家来が使った部屋まで、往時の姿のまま忠実に復原されている。
桃介橋を渡った高台にあり、4月中旬から下旬にかけて、公園内をピンクのグラデーションで染め上げるミツバツツジの大群落が有名。毎年約400株がいっせいに濃いピンクの花を開く。「なぎそミツバツツジ祭り」は4月中旬頃に開催。また、園内からは木曽駒ケ岳をはじめとする中央アルプスの眺めもすばらしい。小川の縁には、昭和28年(1953)の蛇抜[じゃぬけ](山津波)の犠牲者を悼む「悲しめる乙女の像」があり、流れ出した大岩の上に置かれている。
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