
水車塚
明治37年(1904)、豪雨で山崩れが起こり一家4人が犠牲になったことを悼んで立てられた鎮魂碑。下方には、島崎藤村の筆による「山家にありて水にうもれたる蜂谷の家族四人之記念に島崎藤村しるす」の一文が刻まれている。現在は水車小屋が復元され、周辺は休憩の場となっている。
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明治37年(1904)、豪雨で山崩れが起こり一家4人が犠牲になったことを悼んで立てられた鎮魂碑。下方には、島崎藤村の筆による「山家にありて水にうもれたる蜂谷の家族四人之記念に島崎藤村しるす」の一文が刻まれている。現在は水車小屋が復元され、周辺は休憩の場となっている。
落合宿にある中山道でも数少ない、往時の面影を色濃く残す本陣。ここはかつて、落合の庄屋として名字帯刀[みょうじたいとう]を許された名家、井口家の屋敷だった。明治天皇のご巡幸や皇女和宮[かずのみや]降嫁の際には、この本陣で休息をとられた。※日曜9~16時見学可能。
戦国時代から明治時代にかけて、この地方を12代に渡って治めた苗木遠山家の居城が苗木城。その城跡が残る丘の麓にあるのが、この史料館だ。苗木遠山氏は織田氏や武田氏と縁戚関係を結び、その後、徳川氏とも安定した関係を築いて、国替えもなくこの地方を治めた。城跡は、南に流れる木曽川を天然の堀とした小高い丘の上にあり、国の史跡に指定されている。館内では苗木領内における人々の生活ぶりなどがわかりやすく展示されている。所要60分。
小説『夜明け前』に登場する桝田屋のモデルともなった、旧馬籠脇本陣蜂谷家跡に立つ。初代から4代までの覚書は、藤村が『夜明け前』を執筆する際に資料としたもの。館内では、蜂谷家伝来の家具や古美術品を展示している。大名が宿泊した上段の間も、忠実に復元されている。所要30分。
パーキングエリアからほど近い場所にある、江戸の五街道の一つ、中山道の馬籠宿を模した落ち着いた雰囲気の外観が目を引く。フードコートの「馬籠と湯舟の里」では、開田高原で栽培される「霧しなそば」を使用した「湯舟のめんぱ飯」や「馬籠の本陣そば」がおすすめ。地元養漁場で大切に育てられたイワナ・アマゴを使い、骨まで柔らかく炊き上げて、頭から尻尾まで丸ごと食べれる「いわな・あまごの甘露煮」は、高速道路でここだけの販売。
小高い山の上に広がるフルーツ農園。約2万平方mの広大な敷地内に、ぶどう、りんご、栗、梨などの果物を育てている。梨は販売のみ(1kg400円~)。
馬籠宿から馬籠峠へ向かう山あいにある小さな集落。宿場として栄えていた江戸時代には、牛を使って物資を運ぶ仕事をしている牛方[うしかた]が多く住んでいた。島崎藤村の小説『夜明け前』でもこの集落の牛方が登場する。古い家々が続く風景は、当時に舞い戻ったような錯覚を起こさせる。
川上川沿いに立ち、館内の柱にヒノキやヒバ、サワラなど、30cm角の木曽五木が使われて圧巻。地元女性の指導が受けられる手機織り体験は2000円、要予約。手作りの工芸品や、野菜の地元苗などの販売も。
温泉ゾーンと13種類の機能バスが揃うバーデゾーン、プールゾーンの3エリアで構成される巨大な温泉施設。温泉は湯に浸かると肌がつるつるになるという美人の湯だ。宿泊のできるグランピング施設もある。
島崎藤村が幼少時代を過ごした地としても知られる馬籠宿。生家跡に立てられた、約6000点の資料を収蔵する「藤村記念館」や、故郷を舞台に書いた時代小説『夜明け前』の作中にも登場する「馬籠脇本陣史料館」など、藤村ゆかりのスポットは今も数多く残る。また趣深い石畳の坂道沿いには、往時を思わせる建造物や店が集まり、町並みを眺めながら散策するだけでも楽しい。坂道歩きに疲れたら、昔ならではの食事処や甘味処でひと休み。木曽路らしい素朴な味に舌つづみを打ちながら、春樹(藤村の本名)少年が駆け回った時代に思いを馳せよう。
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