
象山神社
松代が生んだ幕末の思想家の先覚者、佐久間象山を祭った神社。象山が生まれてから29年間を過ごした佐久間象山宅跡、吉田松陰の密航事件に連座の後、蟄居[ちっきょ]の身となった象山が客間・書斎として使用していた高義亭[こうぎてい]、9年の蟄居の後、京に上って構えた家の茶室を移築した煙雨[えんう]亭が境内に立つ。
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松代が生んだ幕末の思想家の先覚者、佐久間象山を祭った神社。象山が生まれてから29年間を過ごした佐久間象山宅跡、吉田松陰の密航事件に連座の後、蟄居[ちっきょ]の身となった象山が客間・書斎として使用していた高義亭[こうぎてい]、9年の蟄居の後、京に上って構えた家の茶室を移築した煙雨[えんう]亭が境内に立つ。
戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまで、240万余柱の戦病没者の英霊を祀る仏式霊廟。1階には羅漢像や数多くの絵馬など、善光寺所蔵の什物を展示した善光寺史料館がある。拝観には内陣券が必要。
佐久間象山が松代での9年の蟄居の後、京都の川べりにかまえた家の一部(茶室)。昭和56年(1981)、象山神社の境内に移築された。東山や八坂の塔が見える眺めのよい家で、その雨に煙る情緒豊かな風情を象山が愛でたといわれる。
長国寺の奥にある松代真田家の初代藩主真田信之公の霊屋。信之夫妻の位牌が安置されている宝殿は、桁行3間、梁間4間の撞木屋根の入母屋[いりもや]造で、唐破風[からはふ]や千鳥破風が付いた堂々たるもの。万治3年(1660)の建立で、昭和55年(1980)に解体復元された。宝殿内外には、狩野探幽筆と伝えられている天井画や左甚五郎作と伝えらえる破風の鶴の彫刻など、すばらしい装飾が施されている。
戦国時代、武田信玄によって築城されたといわれる城。元和8年(1622)に真田信之が上田から移封されて以来、10代約250年にわたって真田氏が城主をつとめた。明治の廃城後、建物は取り壊されたが、櫓門や木橋などが復元され一般公開されている。国指定史跡。
善光寺の仁王門手前の左側にある尼寺で、浄土宗の大本山。皇極元年(642)蘇我馬子[そがのうまこ]の姫が天皇御杖代としてここへ遣わされたのが起こりといわれる。宝物館には、宮家ゆかりの品々や国の重要文化財に指定された絹本著色阿弥陀聖衆来迎図[けんぽんちゃくしょくあみだしようじゅうらいごうず]が展示され、渡り廊下にある日本画家・岡信孝の格天井絵四季草花図は必見。
清水寺にある。像高180cm、肉付きは引きしまり、面相が穏やかな像。前方を直視する端麗な姿が印象深い。地蔵菩薩立像とともに平安時代初期から盛行した一木[いちぼく]造で、優れた彫技を見ることができる。
第一、第二の宝物館からなり、常時約150点展示している(随時展示替えあり)。巻紙に書かれた『紙本墨書源氏物語事書』(重要文化財)や『善光寺造営図』など貴重な宝物が多い。
善光寺から徒歩で20分。坂道を登り切った高台にある浄土宗の山寺。「刈萱[かるかや]道心と石堂丸」の話で知られる刈萱上人が没した地で、別名・かるかや堂という。堂内に残る親子地蔵尊は厄難を救い、極楽へ導いてくれるといわれている。また、珍しい絵解き(縁起の絵を見せながら住職が独特の口調で行う説教法話)が伝承されていて、刈萱上人一代記伝の絵解をしてくれる(1回15分、要予約)。境内の鐘は地元出身の草川信が作曲した『夕焼け小やけ』のモチーフになったといわれ、作詞家・中村雨紅直筆の歌碑が立っている。
石畳の参道左手にある天台宗の本坊。大本願と共に善光寺の法灯守護の重責を担い、7年に1回御開帳される前立[まえだち]本尊(重要文化財)が安置されている。広い境内に25ケ院の塔頭が甍を並べている様は圧観だ。また、室町風池泉廻遊[ちせんかいゆう]式の庭園では、奥庭園にある沈香亭[ちんこうてい]が明治天皇ゆかりの茶亭で趣深い。
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