毛越寺 本堂
毛越寺一山の根本道場。平安様式の建物で、平成元年(1989)に再建された。本尊は平安時代作の薬師如来。両脇には日光・月光菩薩、さらにその周りには本尊を守護する四天王が安置されている。講話を聞いたり、座禅体験(要予約)も可。
- 「平泉駅」から徒歩15分
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毛越寺一山の根本道場。平安様式の建物で、平成元年(1989)に再建された。本尊は平安時代作の薬師如来。両脇には日光・月光菩薩、さらにその周りには本尊を守護する四天王が安置されている。講話を聞いたり、座禅体験(要予約)も可。
奥州藤原氏の政庁(平泉館)跡と推定される場所。発掘調査によって、堀、建物、池、塀などの遺構をはじめ多彩な遺物が出土している。柳之御所遺跡出土資料は岩手県立平泉世界遺産ガイダンスセンターで公開している。
東北の主要道となる国道4号沿い。北東北のゲートウエイに位置する道の駅として、地元・平泉の世界文化遺産をはじめ、三陸沿岸部を含めた岩手・青森・秋田三県の観光情報を発信する。地域農産物や特産物などを販売する物産館と、地元食材を使ったメニューを提供するレストランを併設。
嘉祥3年(850)、中尊寺と同じく慈覚大師が開いた天台宗の別格本山。藤原基衡・秀衡の時代、金銀をちりばめ、紫檀、赤木をつぎ、万宝を尽くしたといわれる伽藍や堂塔40、僧坊500が建ち並んでいた。吾妻鏡に霊場の「荘厳吾朝無双なり」と記され、中尊寺をしのぐ華麗さを誇ったといわれるが、嘉禄2年(1226)の大火を初めとする相次ぐ兵火や野火で焼失。現在は再建された本堂や常行堂などが立ち、浄土庭園が平安の頃と変わらぬ美しさを見せている。
平泉の世界文化遺産の魅力を映像やパネルを使ってわかりやすく紹介。屋外には花立廃寺跡が史跡公園として整備されており、そこから平泉の町並みが見渡せる。所要30分。
中尊寺境内にある、藤原氏4代の廟所。天治元年(1124)、清衡の建立と伝わる。鉄筋コンクリートの覆堂で保護された堂の内外は漆に金箔が押され、柱や須弥壇には金銀珠玉がちりばめられている。須弥壇の中には、中央に清衡、向かって左に基衡・右に秀衡の遺体を安置。秀衡の側に4代泰衡の首級を納める。壇上には本尊阿弥陀如来を中心に、黄金に輝く33体の仏像が安置されている。
藤原基衡[もとひら]の妻が建立した寺院跡。境域は東西120m、南北約180mで西域に土塁の一部が残る。浄土庭園には大・小の阿弥陀堂が建っていた。現在ではその跡に発掘に基づいて舞鶴ケ池が復元され、史跡公園として整備されており、憩い場として親しまれている。
中尊寺を開山した慈覚大師(円仁)が嘉祥3年(850)に勧請したと伝わる中尊寺の鎮守社で、明治の神仏分離令により中尊寺と分離。国指定重要文化財の能舞台があることで知られ、入母屋造り茅葺き屋根の能舞台は、嘉永2年(1849)の焼失後、嘉永6年(1853)に伊達慶邦により建立寄進されたもの。本舞台、鏡の間、橋掛の構成は本格的であり、東日本では最古の能舞台とされており、現在でも祭礼においては能が奉納されている。
中尊寺東方の高館は、藤原秀衡を頼って落ち延びた源義経の館があった場所。山頂の義経堂には、義経公の尊像が安置されている。芭蕉が「夏草や兵共が夢の跡」と詠んだ地でもあり、入口の階段を上った右側には芭蕉や曽良[そら]の句碑が立つ。眼下に衣川、北上川も眺望できる。春から初夏にかけてはツツジが美しい。
平成23年(2011)、世界遺産に登録された平泉。奥州藤原氏が浄土思想に基づいて築き上げた中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡の4カ所の国指定特別史跡と金鶏山の計5カ所から構成される文化遺産。奥州藤原氏は、11世紀末に初代藤原清衡が奥州(陸奥)を統治し、四代泰衡が源頼朝によって滅ぼされるまでの約100年間にわたり栄華を極めた一族。平泉には、合戦で妻子を失った清衡が建立した中尊寺をはじめ、浄土思想を現生で表現した複数の遺構や遺跡が一群としてよく残っており、その独自の浄土世界を表現した建築や庭園は世界的にも珍しい。黄金文化を代表する国宝中尊寺金色堂や国指定特別名勝の毛越寺庭園などは見逃せない。
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