
宝厳院
臨済宗大本山天龍寺の塔頭寺院のひとつである宝厳院の「獅子吼の庭」と呼ばれる回遊式山水庭園には、獅子に見える大きな岩が「獅子岩」と名づけられている。通常は非公開だが、特別公開のある春と紅葉シーズンには歴史ある庭園にふさわしい見事な紅葉を楽しむことができる。ライトアップされた紅葉も見どころのひとつ。
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臨済宗大本山天龍寺の塔頭寺院のひとつである宝厳院の「獅子吼の庭」と呼ばれる回遊式山水庭園には、獅子に見える大きな岩が「獅子岩」と名づけられている。通常は非公開だが、特別公開のある春と紅葉シーズンには歴史ある庭園にふさわしい見事な紅葉を楽しむことができる。ライトアップされた紅葉も見どころのひとつ。
日本でほかにないとされる、髪の神社。境内には、献髪を納めた髪塚もあり、髪の恩恵に感謝する大祭も行われている。
化野と呼ばれるこの一帯は、かつて亡骸を葬る風葬の地だった。寺の起こりは、弘法大師がこの地に葬られた死者の菩提を弔うために寺を建てたことによる。のちに法然上人が念仏道場に改め、念仏寺と称した。境内には無縁仏となった約8000体もの石仏や石塔が並ぶ。
暦応2年(1339)に足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建立した、京都五山第1位の寺。創建時は150余の塔頭を数えたが、8回の大火に遭い現在の諸堂は明治時代に再建されたもの。曹源池を中心に嵐山や亀山を借景とする池泉回遊式の曹源池庭園は、開山の夢窓疎石[むそうそせき]の作庭であり、国の史跡・特別名勝に指定され、世界文化遺産にも登録。3段の石滝組などを配し、南北朝時代の禅院を代表する庭園。法堂公開日は土・日曜、祝日、春、秋の特別公開期間。
真言宗大覚寺派本山。貞観18年(876)に嵯峨天皇の離宮を寺院に改めたもので、代々天皇や皇統の方々が住持し格式を保ってきた、大変格式の高い門跡寺院。鎌倉時代には後嵯峨、亀山、後宇多法皇がここで院政をしき、嵯峨御所とも呼ばれた。宸殿(重要文化財)をはじめ、襖絵など多くの文化財を所有。なかでも、後水尾天皇より賜り、京都御所から移築した宸殿の牡丹の間、紅梅の間の襖絵は狩野山楽が描いたもので、ひときわ豪華だ。
小倉山の中腹にある名刹で、秋の紅葉の美しさでも知られている。静寂な寺の佇まいが天台四土の一つ常寂光土を思わせるところから、寺名となった。茅葺きの仁王門には運慶作と伝えられる仁王像が立っている。檜皮葺きの多宝塔(重要文化財)は、江戸時代の建築ながら華麗な桃山様式を伝えている。
釈迦如来立像(重要文化財)と阿弥陀如来立像(重要文化財)の2像を本尊とすることから、二尊院と呼ばれる。平安時代初期に嵯峨天皇が慈覚大師を開祖に建立。法然が庵を結び、弟子の湛空が再興した。藤原定家の山荘「時雨亭」[しぐれてい]跡がある。春の桜、秋の紅葉は圧巻。新緑も見ごたえがある。
伊勢神宮の斎宮に選ばれた皇女が、潔斎のためにこもった所。クヌギの丸太を組んだ黒木の鳥居や小柴垣の簡素な佇まいの小さな社で、『源氏物語』の「賢木」の巻、謡曲『野宮』などに描かれた当時の様子を彷彿とさせる。今では縁結び、進学の神社として知られるようになった。
平安時代、白河天皇によって建立された後、室町幕府第二代将軍足利義詮の院号から現在の名がついた。敵将であったが、義詮が慕った南朝の武将楠木正行の首塚と義詮の墓が隣同士で立つ。秋の境内は紅葉が見事(三脚・一脚の持込不可)。
奥嵯峨の竹林の中にひっそりと佇む『平家物語』ゆかりの寺。仏御前の出現で平清盛の寵愛を失った白拍子の祇王が、母の刀自[とじ]、妹の祇女[ぎじょ]とともに、尼となってここに移り住んだ。後に仏御前も尼になり、ともに晩年を過ごしたという。多種類の緑の苔に覆われた苔庭が美しく、草庵の仏間には本尊の大日如来像ほか、祇王ら5人の木像を安置。「虹の窓」と呼ばれる控えの間の吉野窓も見逃さないように。境内には、鎌倉時代造立の祇王らを供養する宝篋印塔や清盛の五輪塔もある。
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