
諏訪大社下社秋宮
下諏訪宿の近く、旧中山道と甲州街道の分岐点にあり、交通の便のよさから長野県内外を問わず参拝者が多い。幣拝殿・左右片拝殿・神楽殿は重要文化財に指定。本殿はなく、宝殿の奥にある一位[イチイ]の木が御神木。御祭神は上社同様、建御名方神[たけみなかたのかみ]とその妃神の八坂刀売神[やさかとめのかみ]。青銅製の大きな狛犬が境内に立ち、大きなしめ縄の神楽殿は圧巻である。
- 「下諏訪駅」から徒歩11分
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下諏訪宿の近く、旧中山道と甲州街道の分岐点にあり、交通の便のよさから長野県内外を問わず参拝者が多い。幣拝殿・左右片拝殿・神楽殿は重要文化財に指定。本殿はなく、宝殿の奥にある一位[イチイ]の木が御神木。御祭神は上社同様、建御名方神[たけみなかたのかみ]とその妃神の八坂刀売神[やさかとめのかみ]。青銅製の大きな狛犬が境内に立ち、大きなしめ縄の神楽殿は圧巻である。
祭神は建御名方神[たけみなかたのかみ]、八坂刀売神[やさかとめのかみ]。旧中仙道宿場町で賑わう秋宮に比べ、静かで落ち着いた雰囲気。春宮と秋宮の間では、毎年2月1日と8月1日に遷座祭が行われる。
諏訪大社下社春宮の大鳥居の前、御手洗川にかかる反り橋。長さ10m・幅3mほどの小さな橋で、桁行四間の銅瓦葺の屋根がかかっている。天正6年(1578)に造営され、現在の橋は元文年間(1736~1740)に修築されたもの。昔は境内に入る前に下馬し、参拝したという。現在でも遷座祭の際は、御霊代[みたましろ]の御輿はここを渡る。
諏訪大社下社秋宮の鳥居をくぐると正面にそびえる、高さ約35mの杉の大木。樹齢約800年。大社の御神木の一つで、真夜中になると枝を下げて寝入るといわれる。
諏訪大社下社春宮の境内に生い立つ杉の木。秋宮の根入りの杉と同様、神社の御神木。
天保10年(1582)の創建と伝わっている古刹。境内には、隠れキリシタンとの関わりが深いと推察される「マリア地蔵尊」がある。本堂裏の得地円は、遠州流の名園といわれる庭園もあり、この地に刻まれてきた歴史・文化の奥深さを物語る。
元亀元年(1570)に開かれた臨済宗の古刹。アララギ派の歌人たちが修養のためしばしば訪れたことでも知られる。境内の観音堂の格天井の墨絵には、藤田嗣治[ふじたつぐはる]、近藤浩両氏のものもみられる。書院からのぞむ庭園は禅宗の庭らしく静かな趣き。樹齢300年以上のヒメコマツが池の水面に枝をのばしている。
古い町並みが残る上松宿[あげまつじゅく]から山手に少し入ったところにあり、木曽家16代目・義元[よしもと]の二男玉林の創建と伝えられる寺。大火による焼失を免れた黒松の大木と山門が美しい調和を見せ、天神堂横の枝垂桜は毎年美しい花をつける。
国道19号のすぐ近く、寝覚の床を見下ろすように立つ臨済宗妙心寺派の寺。浦島太郎が年老いた自分の姿をなげいて旅立ってしまったが、後に残されていた弁財天の像を祭ったのが開基の由来という。境内には松尾芭蕉、正岡子規、種田山頭火の句碑、姿見の池、宝物館などがあり、奥の降り口から寝覚の床への近道が通じている。宝物館には浦島太郎が置き忘れたという愛用の釣竿[つりざお]や硯などを展示。
治承4年(1180)に以仁王[もちひとおう]の令旨[りょうじ]を受けた義仲が、ここで平家追討の旗挙げと戦勝祈願を行ったことから名前がついた。武家の守護神として知られる京都の石清水八幡宮を勧請し、義仲が館を構えたこの地に祭ったのが建立の由来とされる。義仲の元服の儀式もこの境内で行われ、その際に植樹したとされる拝殿脇の大きなケヤキは、義仲元服ケヤキとよばれている。
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