
甲斐善光寺
武田信玄が永禄元年(1558)に川中島の合戦で長野の善光寺の焼失を怖れ、本尊以下諸仏寺宝類を移したのが始まり。仏像、建築物において多数の文化財を所蔵しているが、特に江戸時代に再建された撞木造[しゅもくづくり]の高さ27mもある金堂(重要文化財)と、朱塗りの山門(重要文化財)は必見。
- 「善光寺駅」から徒歩13分/「酒折駅」から徒歩16分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
武田信玄が永禄元年(1558)に川中島の合戦で長野の善光寺の焼失を怖れ、本尊以下諸仏寺宝類を移したのが始まり。仏像、建築物において多数の文化財を所蔵しているが、特に江戸時代に再建された撞木造[しゅもくづくり]の高さ27mもある金堂(重要文化財)と、朱塗りの山門(重要文化財)は必見。
温泉街の南、笛吹川近くにある寺院で、日蓮[にちれん]上人が文永11年(1274)に開いた古刹。謡曲『鵜飼』の発祥の地。笛吹川の鵜飼いの祖・鵜飼勘作[うかいかんさく]の供養の寺として知られ、境内には鵜飼堂、供養塔がある。
養老6年(722)行基開山の古刹。応安年間(南北朝時代)足利義満の命により武田信成が再建。江戸時代には、甲斐国真言宗七檀林の一つとして栄えた。ツツジをはじめ、四季ごとに花が咲く庭園や、現代仏画が拝観できる。
清春芸術村にある、宗教画家のジョルジュ・ルオーを記念して建てられた礼拝堂。堂内にはルオーの版画が展示され、自由に鑑賞できる。展示品は、時期により異なる。
諏訪大社下社春宮の境内に生い立つ杉の木。秋宮の根入りの杉と同様、神社の御神木。
下諏訪宿の近く、旧中山道と甲州街道の分岐点にあり、交通の便のよさから長野県内外を問わず参拝者が多い。幣拝殿・左右片拝殿・神楽殿は重要文化財に指定。本殿はなく、宝殿の奥にある一位[イチイ]の木が御神木。御祭神は上社同様、建御名方神[たけみなかたのかみ]とその妃神の八坂刀売神[やさかとめのかみ]。青銅製の大きな狛犬が境内に立ち、大きなしめ縄の神楽殿は圧巻である。
祭神は建御名方神[たけみなかたのかみ]、八坂刀売神[やさかとめのかみ]。旧中仙道宿場町で賑わう秋宮に比べ、静かで落ち着いた雰囲気。春宮と秋宮の間では、毎年2月1日と8月1日に遷座祭が行われる。
諏訪を支配する諏訪頼重を攻め落とし、頼重の娘を側室として迎えた武田信玄。諏訪には信玄ゆかりのスポットが点在。信玄が中興した慈雲寺もその一つ。700年を悠に超える歴史をもつ臨済宗妙心寺派の名刹で、今も武田菱が寺紋のように使われている。参道の美しい杉並木や、前庭に立つ樹齢450年以上という天桂の松、白砂が美しい石庭など境内のみどころも多い。
諏訪大社下社春宮の拝殿。安永9年(1780)、大隅流の柴宮長左衛門によって造営。正面の欄間には見事な竜の彫刻が施されている。長左衛門と秋宮の幣拝殿を造営した立川和四郎富棟は諏訪を代表する名匠としてライバル関係にあり、お互いの彫刻を競い、批評し合ったという逸話も残っている。
下諏訪町にある、諏訪大社の小宮の一社。7年に1度の諏訪大社の御柱祭(大祭)と同じ年に、この小宮でも御柱祭が執り行われる。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。