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壇上伽藍の境内の蓮池畔に立つ、高野山内に現存する建物の中で最古の堂。建久9年(1198)に行勝上人が一心院谷に創建したものを明治時代にこの地に移築した。勾配のゆるい檜皮葺きの屋根を持つ現在の建物は鎌倉時代後期のものといわれ、国宝に指定。本尊の不動明王坐像(国指定重要文化財)と運慶作の八大童子立像(国宝)はいずれも高野山霊宝館に収蔵されている。不動堂の拝観は外観のみ。
奥之院御廟の前室として、真然[しんぜん]が創建。奥之院参道正面の石段上にあり、弘法大師へ献上するたくさんの灯籠が堂内いっぱいに下げられている。なかでも長和5年(1016)、祈親[きしん]上人が高野山の復興を祈念して献灯した祈親燈は、貧しいお照という娘が髪を切って売り、献じたものと伝えられ、俗称「貧女の一灯」ともいわれる。寛治2年(1088)に白河法皇が献じた白河燈とともに「消えずの燈明」とよばれ、絶えることなく燃え続けている。建物は昭和中期の改築で、地下には多数の奉納燈籠が並ぶ「地下法場」もある。
弘法大師(空海)が弘仁7年(816)に開いた真言密教の聖地・高野山。その高野山で最も清浄な聖地が大師入定の御廟がある奥之院。奥之院入口となる一の橋(大渡橋[おおばし])から燈籠堂・御廟まで、鬱蒼と茂る杉木立の参道が約2kmに渡って続き、参道沿いには20万基以上もの墓石や供養塔が並び立って戦国大名などの墓を訪ね歩くことができる。玉川に架かる御廟橋を渡ると、拝堂の燈籠堂とその背後に承和2年(835)に入定した大師の御廟が立つ。燈籠堂には貧女の一灯や長者の万灯(白河燈)と呼ばれる常明燈のほか2万基もの献燈が灯り壮観だ。
奥之院とともに高野山の二大聖地とされるのが「壇上伽藍」。真言密教の根本道場のために弘法大師が最初に着手し創建した密教伽藍で、「胎蔵曼荼羅」の世界を表しているといわれている。壇上伽藍の“壇上”は仏様の世界、“伽藍”は諸堂が集まっている場所、という意味をもつ。壇上伽藍境内には、高野山一山の総本堂である金堂を中心に、壇上伽藍のシンボルである根本大塔や弘法大師御影像を奉安する御影堂、大会堂、東塔、西塔など19もの御堂が立ち並んでいる。
開山以来、表玄関の役割を果たす高野山一山の総門。九度山町の慈尊院から続く町石道の表参道を上ると、ここからが山内となる。開創当時は現在の位置から500m下の九折谷の谷底に木の鳥居があった。高さ約25mの現在の朱塗の楼門は、宝永2年(1705)に再建されたもの。昭和61年(1986)にも大がかりな解体修理が行われた。大門の両脚に構える高さ4.8mの力強い金剛力士像は、阿形像を仏師康意が、吽形像を法橋運長が造ったとされている。ここからの眺望がよく、晴れた日には山並みの向こうに紀淡海峡から淡路島まで望める。また、大門の左の赤い鳥居から原生林に囲まれた山道を約600m登ると、高野山最高峰の弁天岳に至る。
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