霊光寺
日蓮宗の霊場のひとつで、静かな住宅地の山間にひっそりと小さな堂が立つ。文永8年(1271)の干ばつの際、日蓮上人が極楽寺の忍性[にんしょう]と雨乞い祈願を競って勝ち、雨を降らせたと伝わる。境内には雨乞い池とよばれる田辺ケ池があり、本堂脇に日蓮雨乞いの銅像が立つ。
- 「七里ケ浜駅」から徒歩9分/「鎌倉高校前駅」から徒歩16分
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日蓮宗の霊場のひとつで、静かな住宅地の山間にひっそりと小さな堂が立つ。文永8年(1271)の干ばつの際、日蓮上人が極楽寺の忍性[にんしょう]と雨乞い祈願を競って勝ち、雨を降らせたと伝わる。境内には雨乞い池とよばれる田辺ケ池があり、本堂脇に日蓮雨乞いの銅像が立つ。
鎌倉の東奥、十二所エリアにひっそりと佇む神社。創建は鎌倉時代といわれ、かつては同じ十二所にある光触寺の境内にあったが、江戸末期に現在地に遷座された。明治の神仏分離までは十二所権現社とも呼ばれていた。その名の通り、12柱の神を祭っている。社殿の正面の頭貫にある「波乗り兎」と呼ばれる2匹のウサギの彫刻が珍しく、境内には疱瘡神と宇佐八幡を祀る2つの石の小祠など、4つの境内社もある。
極楽寺切通しの途中、石段を登った小高い丘の上にある真言密教の寺。弘法大師が修行した霊場跡に、承久元年(1219)北条泰時[やすとき]が創建したと伝えられる。本尊は不動明王(縁結び不動)。また、参道からは眼下に由比ケ浜の眺望が広がる。
長谷寺内にある。本尊の大黒天は現在、収蔵されており、代わりに鎌倉・江の島七福神のひとつ「出世開運授け大黒天」が祀られている。
若宮大路と小町大路にはさまれて立つ小さな寺。第5世住職の日棟[にっとう]が難産で亡くなった女性の霊を慰め、祭ったことから安産の守り神「おんめさま」として親しまれている。こぢんまりとした境内には、椿やガクアジサイ、ムラサキシキブのほかさまざまな山野草が植えられ、参拝者を楽しませてくれる。
玉縄北条氏菩提寺。龍寳寺は昭和26年(1951)の火災により建物のほとんどが焼け、残ったのは山門と鐘楼[しょうろう]だけとなるが、昭和35年(1960)に、大岡実博士の設計で本堂が再建された。
長治元年(1104)の創建と伝えられる古社。鎌倉幕府の鬼門の位置に鎮座する。御祭神は学問の神様・菅原道真公[すがわらみちざね]で合格祈願の絵馬が数多く奉納されている。約100本の梅の木が植えられた境内には、河童を描き続けた漫画家の清水昆[しみずこん]ゆかりの2つの筆塚が立つ。
建長3年(1251)、6代執権北条長時[ながとき]が真阿上人[しんあしょうにん]を開山として創建した寺。小さな山門を入ると、正面に白壁も美しい客殿が立つ。収蔵庫にある本尊の阿弥陀三尊像は、土紋[どもん]という鎌倉時代特有の装飾がなされた珍しいもので国の重要文化財に指定されている。また裏山には阿仏尼の子冷泉為相[れいぜいためすけ]の墓(史跡)がある。
臨済宗円覚寺派の大本山で鎌倉五山の第二位。弘安5年(1282)8代執権北条時宗[ときむね]が、文永・弘安の役(蒙古襲来)の戦死者霊を弔うため、宋の高僧無学祖元[むがくそげん](仏光国師)を招いて創建した。約6万平方mもの広大な境内には総門、山門、仏殿、方丈などの伽藍が一直線に並び、さらに夏目漱石や島崎藤村も参禅した帰源院[きげんいん]や仏日庵[ぶつにちあん]、黄梅院[おうばいいん]など18塔頭が山かげにひっそりと点在している。うっそうとした老杉に囲まれた山内は全域が国の史跡。禅林道場らしいすがすがしさと格式が感じられる。
滑川[なめりかわ]に架かる華の橋を渡った宅間ケ谷[たくまがやつ]にあり、竹の寺として有名。建武元年(1334)足利尊氏の祖父・家時を開基とし、天岸慧広[てんがんえこう]を開山として創建したと伝えられる。かつては足利、上杉両氏の菩提寺として栄え、裏山には足利氏一族の墓といわれるやぐらがある。本堂西側の竹の庭は約2000本の孟宗竹[モウソウチク]がみごとな景観を見せている。奥には茶席があり、森閑とした竹林を眺めながら抹茶(干菓子付き)が味わえる。
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