
旧唐津銀行(辰野金吾記念館)
東京駅を生んだ唐津出身の建築家「辰野金吾」が、愛弟子の田中実に設計を委ねた、「辰野式」赤レンガのモダン建築。
- 「唐津駅」から徒歩7分
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東京駅を生んだ唐津出身の建築家「辰野金吾」が、愛弟子の田中実に設計を委ねた、「辰野式」赤レンガのモダン建築。
石炭の積出港として栄えた明治以降の隆盛が偲ばれる近代建築物などが点在する唐津の街。なかでも旧高取邸は、杵島炭鉱(佐賀県)などの炭鉱主として知られる高取伊好[たかとりこれよし]の旧宅で、約2300坪の広大な敷地に、居住スペースとしての居室棟と迎賓館的な役割を果たした大広間棟が立っている。明治38年(1905)に建設された大広間棟には、能舞台を設けるなど独特の造りとなっていて、邸内の各所には中国の故事や花鳥風月に題材をとった杉戸絵や、動植物を型抜きした欄間、七宝焼の引手金具など、意匠(デザイン)にも見どころが満載。
江戸中期の寛政年間に佐賀藩の命を受け、初代森永十助が煙草[たばこ]の製造を始めたと伝えられている。明治期には、森永作平によって製造された煙草「富士の煙」が、当時東京で人気だった「天狗」より香りがよいと評判を呼び、佐賀の名物のひとつに。煙草専売化に伴い呉服店へと転じ、昭和9年(1934)まで呉服店を営んでいた。現在は、「森永呉服店」の看板が残る北蔵には和紅茶専門店、居宅には鍋島緞通手織工房、南蔵には手仕事の工芸品店の3つの個性的な店が、建物の風情を活かして営業している。
佐賀市街に点在する佐賀県遺産である7つの歴史的建造物から成る佐賀市歴史民俗館の1つ。江戸時代中期に建てられた牛島氏の旧宅を移築・復元。佐賀城下に残る町屋建築では最古のもの。明治期に制作された銅版画に、煙草仲買商・海陸運漕店を営む高柳伊予助[いよすけ]の店として外観が描かれている。佐賀市重要文化財。
明治17年(1884)建築の旧古賀銀行の頭取を務めた古賀善平[こがぜんぺい]の邸宅。武家屋敷に似た配置をとった造りで、見事な欄間の細工や襖絵などみどころは多い。約50畳の大広間は圧巻。佐賀県遺産である7つの歴史的建造物から成る佐賀市歴史民俗館の1つで、佐賀市重要文化財でもある。
唐津藩の御用窯跡地。享保19年(1734)に坊主町から当時唐人町と呼ばれたこの地に移された。中里一族により大正年間まで使われていた。窯の壁面や天井部などほぼ全体が残っている。この窯の製品は献上唐津とよばれ、抹茶碗、水指、花生などがつくられていた。
名君とうたわれた十代藩主・鍋島直正[なべしまなおまさ]公、十一代藩主・鍋島直大[なべしまなおひろ]公を祀る神社。直正公は日本初の洋式反射炉を設け近代大砲を造ったり、西洋医術の普及に努めるなど、いち早く西洋文明導入に取り組んだ人物。境内にはカノン砲や蒸気機関車の復元などが見られる。
履物商を営んでいた初代久富亀一が、大正10年(1921)に建てた「履物問屋 久富商店」。建物裏に作業所があり、ここで下駄の製造が行われた。後に、大分県日田市や朝鮮半島へ販路を広げて事業を拡大し、県下でも有数の大きな履物問屋となった。館内に掲げてある木製の看板には、右から左に「履物問屋」と横書きされおり当時を偲ばせる。現在は、建物内をリノベーションして、カフェや写真館、組紐店、ミニギャラリー、ステンドグラス工房などが営業。町歩きが楽しめるレンタル着物店が人気だ。
唐津藩の初代藩主、寺沢志摩守広高[てらざわしまのかみひろたか]が7年の年月を費やして慶長13年(1608)に完成させた。現在の天守閣は昭和41年(1966)に完成したもの。内部は郷土博物館で、唐津焼や刀剣類などを展示。所要30分。
レンガ風タイル張りのモダンな洋館。佐賀県遺産である7つの歴史的建造物から成る佐賀市歴史民俗館の1つ。古賀銀行は、明治18年(1885)に両替商を営んでいた古賀善平によって設立され、大正期には九州5大銀行の1つに数えられていた。現在の建物は、大正5年(1916)当時の姿に復元されたもの。館内には長崎街道の歴史・民俗資料などを展示している。佐賀市重要文化財。
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