
旧古賀家
明治17年(1884)建築の旧古賀銀行の頭取を務めた古賀善平[こがぜんぺい]の邸宅。武家屋敷に似た配置をとった造りで、見事な欄間の細工や襖絵などみどころは多い。約50畳の大広間は圧巻。佐賀県遺産である7つの歴史的建造物から成る佐賀市歴史民俗館の1つで、佐賀市重要文化財でもある。
- 「佐賀駅」から徒歩24分
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明治17年(1884)建築の旧古賀銀行の頭取を務めた古賀善平[こがぜんぺい]の邸宅。武家屋敷に似た配置をとった造りで、見事な欄間の細工や襖絵などみどころは多い。約50畳の大広間は圧巻。佐賀県遺産である7つの歴史的建造物から成る佐賀市歴史民俗館の1つで、佐賀市重要文化財でもある。
レンガ風タイル張りのモダンな洋館。佐賀県遺産である7つの歴史的建造物から成る佐賀市歴史民俗館の1つ。古賀銀行は、明治18年(1885)に両替商を営んでいた古賀善平によって設立され、大正期には九州5大銀行の1つに数えられていた。現在の建物は、大正5年(1916)当時の姿に復元されたもの。館内には長崎街道の歴史・民俗資料などを展示している。佐賀市重要文化財。
佐賀市街に点在する佐賀県遺産である7つの歴史的建造物から成る佐賀市歴史民俗館の1つ。江戸時代中期に建てられた牛島氏の旧宅を移築・復元。佐賀城下に残る町屋建築では最古のもの。明治期に制作された銅版画に、煙草仲買商・海陸運漕店を営む高柳伊予助[いよすけ]の店として外観が描かれている。佐賀市重要文化財。
「佐賀市歴史民俗館」とは、旧長崎街道に点在している江戸~大正の7つの歴史的建造物の総称。洋風建築の「旧古賀銀行」、明治期上流階級の邸宅「旧古賀家」、明治期に米相場取引を主としていた「旧三省銀行」、佐賀城下に残る最古の町屋建築「旧牛島家」、大正期の近代和風住宅「旧福田家」、県下有数の大きな履物問屋「旧久富家」、煙草製造から呉服店へ転じた「旧森永家」の7館で、内部が無料公開されているほか、コンサートや展示会などのイベント会場としても利用されている。
履物商を営んでいた初代久富亀一が、大正10年(1921)に建てた「履物問屋 久富商店」。建物裏に作業所があり、ここで下駄の製造が行われた。後に、大分県日田市や朝鮮半島へ販路を広げて事業を拡大し、県下でも有数の大きな履物問屋となった。館内に掲げてある木製の看板には、右から左に「履物問屋」と横書きされおり当時を偲ばせる。現在は、建物内をリノベーションして、カフェや写真館、組紐店、ミニギャラリー、ステンドグラス工房などが営業。町歩きが楽しめるレンタル着物店が人気だ。
名君とうたわれた十代藩主・鍋島直正[なべしまなおまさ]公、十一代藩主・鍋島直大[なべしまなおひろ]公を祀る神社。直正公は日本初の洋式反射炉を設け近代大砲を造ったり、西洋医術の普及に努めるなど、いち早く西洋文明導入に取り組んだ人物。境内にはカノン砲や蒸気機関車の復元などが見られる。
佐賀県遺産である7つの歴史的建造物から成る佐賀市歴史民俗館の1つ。明治15年(1882)に設立された銀行で、むくりのある切妻屋根や銅板の窓が独特な白壁の蔵造り。建物内は畳敷きで、吹き抜けの茶の間が目を引く。伝統的な町屋建築の形式に銀行の業務に適した設計もされているのが興味深い。佐賀市重要文化財に指定されている。
江戸中期の寛政年間に佐賀藩の命を受け、初代森永十助が煙草[たばこ]の製造を始めたと伝えられている。明治期には、森永作平によって製造された煙草「富士の煙」が、当時東京で人気だった「天狗」より香りがよいと評判を呼び、佐賀の名物のひとつに。煙草専売化に伴い呉服店へと転じ、昭和9年(1934)まで呉服店を営んでいた。現在は、「森永呉服店」の看板が残る北蔵には和紅茶専門店、居宅には鍋島緞通手織工房、南蔵には手仕事の工芸品店の3つの個性的な店が、建物の風情を活かして営業している。
唐津藩の初代藩主、寺沢志摩守広高[てらざわしまのかみひろたか]が7年の年月を費やして慶長13年(1608)に完成させた。現在の天守閣は昭和41年(1966)に完成したもの。内部は郷土博物館で、唐津焼や刀剣類などを展示。所要30分。
東京駅を生んだ唐津出身の建築家「辰野金吾」が、愛弟子の田中実に設計を委ねた、「辰野式」赤レンガのモダン建築。
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