平和の灯
原爆犠牲者の霊を慰めるとともに、核兵器の廃絶を祈って建設。設計は建築家・丹下健三氏によるもので、平和記念公園内「平和の池」の北端にある。昭和39年(1964)8月1日、反核の願いを込めて灯された炎は今も燃え続けている。
- 「原爆ドーム前駅」から徒歩6分/「本通駅」から徒歩7分
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原爆犠牲者の霊を慰めるとともに、核兵器の廃絶を祈って建設。設計は建築家・丹下健三氏によるもので、平和記念公園内「平和の池」の北端にある。昭和39年(1964)8月1日、反核の願いを込めて灯された炎は今も燃え続けている。
爆心地から380mで被爆しながら、堅牢な建物であったため崩壊を免れ、被爆2日後には業務を再開。その後も平成4年(1992)まで使用された。館内見学可能。
昭和20年(1945)、福岡県星野村(現八女市星野村)の山本達雄さんが廃墟の広島から持ち帰り、現在も星野村で守り続けられている「平和の火」と、広島市の平和記念公園「平和の灯」を合わせて灯した火。
B29「エノラ・ゲイ号」により投下された原子爆弾は、T字型の相生橋が投下目標とされていたが、実際には相生橋の南東300mにある島病院の上空約600mでさく裂した。建物の横には原爆被災説明板が設置されている。
爆心地から460mの位置で被爆し、かろうじて西校舎が残った袋町小学校。資料館はその西校舎の一部を保存して建てられたもので、当時の被災者が安否を知らせるために書いた壁の伝言など、貴重な資料を展示している。
平和記念公園内にあり、正式名称は広島平和都市記念碑という。原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちから埴輪の家型に設計され、昭和27年(1952)8月6日に建立。石室には30万8725人(2017年8月6日現在)の原爆死没者の名簿が納められ、正面には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文が刻まれている。
大正4年(1915)建築の元広島県産業奨励館で、相生橋の南側、元安川に面して立つ。原爆によって半壊、崩れかけた外壁と鉄骨をむき出しにした無惨な姿は戦争のむごさを今も伝えている。被爆当時から残る数少ない建物のひとつであり、核兵器廃絶と人類の平和を求める誓いのシンボルとして世界遺産にも登録されている。
旧広島地方気象台の庁舎を利用した気象博物館。2階体験コーナーでは、秒速5m、15m、20mの風速を体験したり、雲の中に入る体験や30万ボルトの落雷実験が見られるなど、気象の不思議を体感できる。館が独自に発表する予報作業の様子も興味深い。本館は被爆建物であり、広島市指定重要有形文化財でもある。
天正17年(1589)に毛利輝元が築城した城。鯉城[りじょう]とも呼ばれる。かつて国宝に指定されていた天守閣は、原爆投下によって倒壊。現在の5層天守閣は昭和33年(1958)の再建で、内部は武具の展示や城下町広島を学べる歴史博物館になっている。
原爆により亡くなった佐々木禎子さんの同級生のよびかけにより建てられた像。今も世界中から折り鶴が届く。
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