
袋町小学校平和資料館
爆心地から460mの位置で被爆し、かろうじて西校舎が残った袋町小学校。資料館はその西校舎の一部を保存して建てられたもので、当時の被災者が安否を知らせるために書いた壁の伝言など、貴重な資料を展示している。
- 「袋町駅」から徒歩3分/「本通駅」から徒歩5分
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爆心地から460mの位置で被爆し、かろうじて西校舎が残った袋町小学校。資料館はその西校舎の一部を保存して建てられたもので、当時の被災者が安否を知らせるために書いた壁の伝言など、貴重な資料を展示している。
幕末から明治の人々に影響を与えた「日本外史」の著者、頼山陽が青年時代に過ごした屋敷が歴史資料館に。館内には風雅な庭園や茶室も備えている。
原爆により亡くなった佐々木禎子さんの同級生のよびかけにより建てられた像。今も世界中から折り鶴が届く。
昭和4年(1929)、大阪の大正屋呉服店が建設したもので、当時としては珍しい鉄筋コンクリートのモダンな建物だった。爆心地から170mの 至近距離で被爆。地下室を除いて全焼したが、建物としての基本的形態はとどめた。戦後は補修され、燃料会館として使用されていたが、昭和57年(1982)より、平和記念公園レストハウスとして使用され、1階には観光案内所や土産を扱う売店がある。地下室は被爆当時の姿を残し、見学もできる(要事前予約)。
天正17年(1589)に毛利輝元が築城した城。鯉城[りじょう]とも呼ばれる。かつて国宝に指定されていた天守閣は、原爆投下によって倒壊。現在の5層天守閣は昭和33年(1958)の再建で、内部は武具の展示や武家文化、城下町広島を学べる歴史博物館になっている。近隣には広島城二の丸復元建物、広島城三の丸商業施設がある。
原爆犠牲者の霊を慰めるとともに、核兵器の廃絶を祈って建設。設計は建築家・丹下健三氏によるもので、平和記念公園内「平和の池」の北端にある。昭和39年(1964)8月1日、反核の願いを込めて灯された炎は今も燃え続けている。
平和記念公園内にあり、正式名称は広島平和都市記念碑という。原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちから埴輪の家型に設計され、昭和27年(1952)8月6日に建立。石室には30万8725人(2017年8月6日現在)の原爆死没者の名簿が納められ、正面には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文が刻まれている。
勤労奉仕に動員され原爆や空襲で亡くなった学徒の慰霊碑。モニュメント下にはさまざまな宗派をひとつに表した像が立つ。
爆心地から380mで被爆しながら、堅牢な建物であったため崩壊を免れ、被爆2日後には業務を再開。その後も平成4年(1992)まで使用された。館内見学可能。
昭和20年(1945)、福岡県星野村(現八女市星野村)の山本達雄さんが廃墟の広島から持ち帰り、現在も星野村で守り続けられている「平和の火」と、広島市の平和記念公園「平和の灯」を合わせて灯した火。
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