
太閤石風呂
豊臣秀吉が小田原攻めの際、将兵をねぎらうため造ったとも伝わる岩風呂。幅3m、高さ1mの岩穴でしめ縄が下がり、八千代橋のたもとから延びる歩道から見られる。十数年前までは湯けむりが上がっていたが、現在は涸れてしまい跡として残るのみ。
- 「小涌谷駅」から徒歩7分/「彫刻の森駅」から徒歩10分
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豊臣秀吉が小田原攻めの際、将兵をねぎらうため造ったとも伝わる岩風呂。幅3m、高さ1mの岩穴でしめ縄が下がり、八千代橋のたもとから延びる歩道から見られる。十数年前までは湯けむりが上がっていたが、現在は涸れてしまい跡として残るのみ。
芦ノ湖を出発して権現坂を越えると、箱根で一番長い約1kmにわたる天ケ石坂の石畳に入る。この道の途中に、馬子唄の碑がある。馬子唄は、馬喰[ばくろう]とよばれる馬の売買人や馬に荷を乗せて運んだ馬子が、峠を越えるときに唄ったものだ。石碑には「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と唄の一節が刻まれている。石碑の周辺は、格好の休憩スポットになっている。
箱根・宮ノ下に立つ、日本を代表するクラシックホテル。創業は明治11年(1878)。明治24年(1891)建築の本館をはじめ、西洋館、花御殿など6棟の登録有形文化財に加え、フォレスト・ウイング、カスケード・ウイングなど、明治から令和の個性豊かな建物が緑の中に立ち並ぶ。令和2年(2020)には大規模改修工事が終了。充実した3つのレストランでの食事や、趣のある本館ロビーから続くラウンジでのアフタヌーンティー、館内ホテルミュージアムの見学など、日帰り利用も可能。記念にはホテル・ショップでオリジナルグッズやクッキーをどうぞ。
芦ノ湖の水位調節と芦ノ湖から小田原市を流れ相模湾に続く早川の急流の治水を司る水門。水門からは、湖畔沿いに続く芦ノ湖の西岸歩道へ出ることもできる。散歩に適した穴場的な場所。
水はけを良くするため延宝8年(1680)頃に江戸幕府が布設した石畳。少し歩きにくいが情緒漂う。
江戸時代半ばに熊野権現の境内に設けられた薬師堂。当時の文化サロンで、賀茂真淵[かものまぶち]などが集まり歌を詠んだ。明治4年(1871)に焼失したが、平成13年(2001)に復元された。賀茂真淵らの歌碑も残る。
箱根強羅公園内にあり、明治・大正・昭和の各時代を代表する実業家、益田鈍翁[ますだどんのう]、原三渓[はらさんけい]、松永耳庵[まつながじあん]が使用していた白雲洞、不染庵[ふせんあん]、対字斎[たいじさい]という3席の茶室がある。箱根の天然岩に深山にわび住む山人の住まいを主題にしたもの。抹茶と和菓子も楽しめる。
精進池から芦之湯へ向かう国道1号沿いに点在する石仏群。かつての地蔵信仰の名残で、高さ3mの磨崖仏六道地蔵をはじめ、巨大な岩に24体の地蔵菩薩と阿弥陀如来、童子形の石仏各1体ずつ計26体が彫られた二十五菩薩像などがたたずむ。これら石仏を縫うように芦之湯まで芦之湯史跡探勝歩道が設けられている。
滑りやすい石畳の道。旧街道の難所のひとつで、猿も滑るほどの急な坂道であったことが由来。細心の注意をはらいながら進もう。
臨済宗の名僧で、造園にも優れていた夢窓国師が鎌倉を去ったあと、ここに庵を結び1年間閑居した。堂ケ島の名は庵を結んだことから付けられたといわれている。旅館の敷地から早川に架かる夢窓橋を渡った木立の中に、再建された小さな庵がたたずむ。
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