
長谷寺 地蔵堂
長谷寺内にあり、観音堂へ上る参道脇ある御堂。現在の堂宇は平成15年(2003)の再建で、扇垂木の屋根が特徴だ。安置されている地蔵尊もその時に造立されたもので、福壽地蔵と呼ばれ子安・繁栄のご利益があるといわれている。御堂背後にぎっしりと並んでいる高さ20cmほどの千体地蔵が壮観。
- 「長谷(神奈川)駅」から徒歩5分/「極楽寺駅」から徒歩10分
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長谷寺内にあり、観音堂へ上る参道脇ある御堂。現在の堂宇は平成15年(2003)の再建で、扇垂木の屋根が特徴だ。安置されている地蔵尊もその時に造立されたもので、福壽地蔵と呼ばれ子安・繁栄のご利益があるといわれている。御堂背後にぎっしりと並んでいる高さ20cmほどの千体地蔵が壮観。
鶴岡八幡宮の東、雪ノ下一帯が、治承4年(1180)に頼朝が居を構えて鎌倉幕府を開き、嘉禄元年(1225)に北条泰時が若宮大路の宇津宮辻子に幕府を移すまで45年間、武家政治の中心となったところ。清泉女学院小学校の西の角に立つ石碑を中心に敷地は200m四方におよぶ広大のもので、寝殿・公文所・問注所・侍所などの建物があったという。
大船観音寺の境内にある白い巨大な観音像は、優美な顔立ちが印象的。高さ25.39m、重量1915トン。昭和初期に造り始め、戦争で一時中断したが昭和35年(1960)に完成した。小高い丘の上に立ち、東屋から大船の町並みが一望に見渡せる。観音像の胎内には20分の1の原形像が祭られている。
長谷寺内にある。本尊の大黒天は現在、収蔵されており、代わりに鎌倉・江の島七福神のひとつ「出世開運授け大黒天」が祀られている。
若宮大路と小町大路にはさまれて立つ小さな寺。第5世住職の日棟[にっとう]が難産で亡くなった女性の霊を慰め、祭ったことから安産の守り神「おんめさま」として親しまれている。こぢんまりとした境内には、椿やガクアジサイ、ムラサキシキブのほかさまざまな山野草が植えられ、参拝者を楽しませてくれる。
佐助[さすけ]ケ谷の一角、岩肌をくりぬいたトンネルをくぐると鳥居が林立する境内に出る。本殿左手の洞窟内に奥宮があり、鎌倉五名水のひとつ銭洗水[ぜにあらいみず]が湧いている。かつて巳の年の巳の月、巳の日の夜、頼朝の夢枕に宇賀福神が現れ「この水で神仏を供養すれば天下太平になる」と告げられ、頼朝はこれに従って社を建てて祭ったという。以来、この霊水で銭を洗うとお金がたまるという信仰が広まり、今もザルにお札や小銭を入れて洗う参拝者が絶えない。
円覚寺内にあり、元祿12年(1699)に建立された茅葺きの建物。僧侶が坐禅を組み、悟りを開いて仏になるための道場。南北朝時代に彫られた運慶[うんけい]派の作と伝わる、薬師如来立像が安置されている。
弘仁10年(819)に弘法大師空海が開いた寺。本尊の弘法大師像(重要文化財)は鎖大師[くさりだいし]とよばれ、両足の関節が動くようになっている裸形着装像。公開は1月21日・4月の第3土曜と8月16日、12月21・31日。静かな境内には薮内佐斗司の五輪塔童子が立つ。
極楽寺切通しの途中、石段を登った小高い丘の上にある真言密教の寺。弘法大師が修行した霊場跡に、承久元年(1219)北条泰時[やすとき]が創建したと伝えられる。本尊は不動明王(縁結び不動)。また、参道からは眼下に由比ケ浜の眺望が広がる。
坂東[ばんどう]三十三観音霊場の第一番礼所で、天平6年(734)に光明[こうみょう]皇后の発願で創建されたという鎌倉最古の天台宗の寺。茅葺きの仁王門をぬけると、奉納された幟[のぼり]が両側にずらりと立ち並ぶ苔の階段がある。その脇の階段をあがっていくと、茅葺き、寄棟造の本堂があり、本尊の3体の十一面観音像が安置されている。3体のうち中央は円仁[えんにん]作、右側は源信[げんしん]作と伝えられ、国の重要文化財に指定されている。この観音は火難の際、自分で大杉の根本まで避難したといわれ、杉本観音と親しまれている。
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