
唐招提寺 戒壇
唐招提寺の金堂の西、土塀に囲まれて授戒のための戒壇がある。花崗岩を3段に重ねた石積みで、宝塔を壇上中央に置いている。
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唐招提寺の金堂の西、土塀に囲まれて授戒のための戒壇がある。花崗岩を3段に重ねた石積みで、宝塔を壇上中央に置いている。
唐招提寺の金堂と講堂の間にある2階建ての建物。入母屋造、本瓦葺きで、正面3間、側面3間と小規模ながら整った仁治元年(1240)建立の鎌倉建築で、国宝。鑑真和上が唐から将来した仏舎利を安置していることから舎利殿とも呼ばれている。毎年5月に行われるうちわまきの行事はここで行われる。
南都六宗の一つである律宗の総本山・唐招提寺。境内には、国宝の金堂・講堂・鼓楼・宝蔵・経蔵をはじめ、国指定重要文化財の礼堂・御影堂などが並び立つ。その境内の北東隅にあるのが鑑真和上の墓所。門と土塀を巡らせた墓所内は苔むして広く、周濠のような池が配され、木立に囲まれてひっそりと御廟がある。御廟は築山状の土壇で、その上に鎌倉時代後期に造られたという高さ約2.5mの宝篋印塔が立つ。
平城宮跡にあり、平城宮の正門。門をくぐって北へ行けば平城宮内の第一次大極殿、南へは平城京のメインストリートである朱雀大路が延びていた。高さ20m、間口25m、奥行き10mの壮大な二重門として蘇り、朱塗りの柱と白壁が美しい。大屋根には金色の鴟尾[しび]も輝く。外国使節など賓客の訪問時や儀式の際しか扉は開けられなかったというが、現在は日中常時開放。
菅原家発祥の日本最古の天満宮。祭神は菅原道真公・天穂日命・野見宿称の三神を祀る延喜式内社。この地にて菅原家が発祥し道真公の誕生所としての伝承があり、産湯をとった天神堀が残っており全国各地より受験・試験合格祈願の参拝者がたえない。盆梅展では、境内の梅に加え130品種約200鉢もの盆梅で境内が梅の香りに包まれる。
唐招提寺にあり、校倉造で、南が経蔵、北が宝蔵。ともに天平時代の建築だが、特に経蔵は唐招提寺創立以前の新田部親王邸にあった建物と思われ、校倉造の最古例とされる。
朝廷の寄進により、平城宮朝堂院[ちょうどういん]の東朝集殿[ちょうしゅうでん]を唐招提寺に移築したもの。正面9間、側面4間の入母屋造。数度の改修を経ているが、天平時代の宮殿建築唯一の遺構だ。講堂としても、法隆寺東院伝法堂と並ぶ天平期の数少ない例。本尊は飛天などの透彫がある二重円相光背を負う弥勒仏坐像(重要文化財)で、鎌倉時代の作。両脇に天平末期作の持国天[じこくてん](重要文化財)と増長天[ぞうちょうてん](重要文化財)を従える。
養老5年(721)、行基を開基として創建。創建当初の旧礎の上に室町時代に再建された本堂(重要文化財)が残る。堂は行基菩薩が東大寺大仏殿の造営にあたり、喜光寺の本堂を雛形としたという伝承があり、「試みの大仏殿」とも呼ばれる。堂内には、平安時代後期(藤原時代)の阿弥陀如来坐像(重要文化財)を安置。行基菩薩はこの寺で没し、生駒の竹林寺に葬られた。6月中旬~8月上旬には250鉢の蓮の花が見頃をむかえる。
昭和45年(1970)唐招提寺に建てられた鉄筋コンクリートの収蔵庫で、境内東方にある。工芸、絵画、経文類など多数の寺宝のほか、破損仏も収蔵している。唐招提寺のトルソーと呼ばれる、頭と手がない如来形立像(重要文化財)も収められている。「天平の甍[いらか]」で有名な金堂の鴟尾[しび]を公開中。
赤膚[あかはだ]焼・一刀彫・漆塗り・ならくみひも・筆造りといった、奈良の伝統工芸を守る若手職人が集まる長屋。実際の仕事場になっているため、職人の技を見学可。完成品の展示・販売も行っている。併設の墨の資料館では奈良墨の歴史を紹介。赤膚焼の絵付け体験(要予約)もできる。
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