玉陵
文亀元年(1501)、尚真王により父尚円[しょうえん]王の遺骨を改葬するために建てられた第二尚氏歴代の墓。首里城の西側に位置する壮大な石造建築物。板葺き屋根の宮殿を模した切妻屋根型の墓室が東室・中室・西室の3基連なり、東室には国王、王妃の遺骨、西室には王族の遺骨、中室には洗骨前の遺骸を安置したとされる。
- 「儀保駅」から徒歩14分/「首里駅」から徒歩18分
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文亀元年(1501)、尚真王により父尚円[しょうえん]王の遺骨を改葬するために建てられた第二尚氏歴代の墓。首里城の西側に位置する壮大な石造建築物。板葺き屋根の宮殿を模した切妻屋根型の墓室が東室・中室・西室の3基連なり、東室には国王、王妃の遺骨、西室には王族の遺骨、中室には洗骨前の遺骸を安置したとされる。
奉神門の手前にある門。「広福」とは「福を行き渡らせる」という意味。建物そのものが門の機能をもっており、琉球王国時代は東側は戸籍を管理する「大与座[おおくみざ]」、西側は寺や神社を管理する「寺社座[じしゃざ]」だったという。現在は首里城公園有料区域の入場券販売所となっている。
首里城下町を散策するのに便利な電動アシスト自転車。首里駅近くにあり、公式サイトからの予約も可。
浦添市の北東部に広がる広大な総合公園。14世紀に琉球を統一した尚氏の居城であった浦添城跡(国重要史跡)や浦添ようどれ(墓所)を中心とした「歴史学習ゾーン」、豊かな緑の中に散策路や芝生広場が整備された「憩いの広場ゾーン」、遊具や展望台がある「ふれあいゾーン」の3ゾーンから成る。バリアフリーの大展望台からは、浦添市街はもちろん、晴れた日には遠く読谷村の残波岬まで360度のパノラマ景観が楽しめる。
国際通りで、琉球ガラス、首里織り、琉球びんがた染め、壷屋焼、琉球漆器の5つの工芸体験ができる施設。特別展示室や工芸品の販売場もある。クレジットカードは販売商品のみ利用可能。
昭和11年(1936)に「招魂社」として創建され、昭和15年(1940)に「沖縄県護国神社」と改称。日清・日露戦争以降に国難に殉ぜられた英霊をお祀りしている。那覇市の奥武山公園の中心に鎮座する神社は、初詣には26万人の参拝者で賑わう。那覇空港から北向きに車で10分、右手の大きな鳥居が目印。
13世紀頃に築城された琉球国中山の王城・浦添グスクを中心とする史跡。沖縄戦の激戦地となったため現在は石垣を残すだけであるが、城跡内の高台からは周辺一帯を見渡せ、地理的に優れた城であったことがうかがえる。浦添グスクの北側には琉球王国初期の王陵で、13世紀に英祖王が築いたと伝えられる「浦添ようどれ」がある。2019年5月には『琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な「琉球料理」と「泡盛」、そして「芸能」』と、ストーリーを構成する文化財29件が日本遺産に認定された。
那覇空港駅~てだこ浦西駅間約17kmを37分で結ぶモノレールで愛称は「ゆいレール」。平成15年(2003)に開業し、令和元年(2019)に4駅延伸した。平均時速約28kmでゆっくり走る2両1編成の車内には沖縄のわらべうたが流れ、窓からは那覇・浦添市街の様子が楽しめる。全19駅ある駅舎はそれぞれカラフルなステーションカラーと沖縄の染織デザインで彩られ、アートガラスやシーサー、アートタイルが沖縄の雰囲気を醸し出している。
令和元年(2019)10月の火災により焼失した正殿等は現在令和8年(2026)を目指して復元中。正殿や北殿、南殿などに囲まれた中庭広場の「御庭」には、木材倉庫・加工場と実物大の図面を描く原寸場が建てられ、原寸場の見学エリアでは職人たちの作業風景が見られる。すぐそばの復興展示室では、火災による残存物の展示のほか、パネル展示や映像などで正殿の復元工程も解説。来園者が復元過程を見られる「見せる復興」で、日々変わりゆく首里城を知ることができる。
首里城公園の北、円鑑池周辺の一角に架かる龍淵橋の奥に広がるのが龍潭。この大きな池は尚巴志王時代の応永34年(1427)、冊封使を歓待するために造られたもの。池のほとりの花と、水面に映る首里城を眺め、爬龍船を浮かべてハーリー船競漕を楽しんでいたという往時が偲ばれる。
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