広島城
天正17年(1589)に毛利輝元が築城した城。鯉城[りじょう]とも呼ばれる。かつて国宝に指定されていた天守閣は、原爆投下によって倒壊。現在の5層天守閣は昭和33年(1958)の再建で、内部は武具の展示や武家文化、城下町広島を学べる歴史博物館になっている。近隣には広島城二の丸復元建物、広島城三の丸商業施設がある。
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天正17年(1589)に毛利輝元が築城した城。鯉城[りじょう]とも呼ばれる。かつて国宝に指定されていた天守閣は、原爆投下によって倒壊。現在の5層天守閣は昭和33年(1958)の再建で、内部は武具の展示や武家文化、城下町広島を学べる歴史博物館になっている。近隣には広島城二の丸復元建物、広島城三の丸商業施設がある。
原爆犠牲者の霊を慰めるとともに、核兵器の廃絶を祈って建設。設計は建築家・丹下健三氏によるもので、平和記念公園内「平和の池」の北端にある。昭和39年(1964)8月1日、反核の願いを込めて灯された炎は今も燃え続けている。
明治元年(1868)に戊辰戦争で陣没した浅野藩士78柱を祀ったのが創建で、以来、大東亜戦争に至るまでの数々の戦争で戦没した英霊、原爆犠牲となった動員学徒、女子挺身隊などおよそ9万2千余柱の神霊を祀っている。原爆で御社殿すべてが焼失した後、昭和31年(1956)に現在の広島城跡に再建された。現在の社殿は平成5年(1993)に建て替えられたもの。
バスターミナルに併設している百貨店。世界遺産原爆ドームが近くにあり、国内だけでなく海外からの来店も多い。外国人受入体制の整った観光案内所「JNTO認定外国人観光案内(カテゴリー2)」として認定された。
平和記念公園と宮島、世界遺産に登録されている広島の2大観光スポットを約45分で結ぶ定期船。広島の市街地や原爆ドームを水上から眺められる。
広島市の中心部、緑に囲まれた広島市中央公園の一角にあるひろしま美術館は、昭和53年(1978)11月に広島銀行の創業100周年を記念して設立。「愛とやすらぎのために」をテーマに、ミレーやモネ、ルノワール、ゴッホ、マティス、ピカソ、シャガールといったヨーロッパ近代美術の巨匠たちの作品などが約80点常設展示されている。黒田清輝、浅井忠、藤島武二といった日本近代洋画や、竹内栖鳳や横山大観などの日本画も所蔵。年に数回特別展も開催している。
生活雑貨からグルメ、評判の医療センターまで、幅広いジャンルが揃うショッピングセンター。広島バスセンターが3階にあり、アクセスの良さも抜群。ビルのデザインは鯉のウロコをイメージし、広島の名所にもなっている。
爆心地から460mの位置で被爆し、かろうじて西校舎が残った袋町小学校。資料館はその西校舎の一部を保存して建てられたもので、当時の被災者が安否を知らせるために書いた壁の伝言など、貴重な資料を展示している。
原爆の被害に遭われた人々の体験記や遺影を収集・公開する国立の施設。企画展示室では、企画展を開催。毎年定めるテーマに沿って被爆体験記や追悼記をセレクトし、約30分の映像作品を制作し大型スクリーンで上映している。円周55m、高さ8mの追悼空間では、爆心地付近からみた被爆後の街並みをパノラマで表現。遺影コーナーでは、亡くなられた被爆者の名前と遺影を公開している。体験記閲覧室では、被爆体験記や被爆証言映像等の資料を閲覧・視聴できる。
昭和4年(1929)、大阪の大正屋呉服店が建設したもので、当時としては珍しい鉄筋コンクリートのモダンな建物だった。爆心地から170mの 至近距離で被爆。地下室を除いて全焼したが、建物としての基本的形態はとどめた。戦後は補修され、燃料会館として使用されていたが、昭和57年(1982)より、平和記念公園レストハウスとして使用され、1階には観光案内所や土産を扱う売店がある。地下室は被爆当時の姿を残し、見学もできる(要事前予約)。
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