最明寺
源氏山の西麓にあり、鎌倉幕府5代執権北条時頼が開基。境内奥に時頼の墓もある。時頼は若くして家督を譲り、出家して「最明寺殿」と呼ばれた。
- 「伊豆長岡駅」から徒歩25分
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源氏山の西麓にあり、鎌倉幕府5代執権北条時頼が開基。境内奥に時頼の墓もある。時頼は若くして家督を譲り、出家して「最明寺殿」と呼ばれた。
函南と熱海を結ぶ県道から東方へ1.8km入った所にある。周辺はまだ田畑も残る環境で、そののどかな風景が見渡せる小高い丘の上に立つ。大浴場は木がアクセントになった「箱根の湯」と伊豆石を使った「伊豆の湯」があり、大浴槽、泡風呂、寝湯、サウナなどが揃っている。快晴時、富士山が眺められる露天風呂は、大きくて開放感満点。檜風呂と陶器製の露天風呂がセットの貸切風呂(1時間1000円)が好評。水着でジャグジーやウォーキングを楽しめるプールも完備。オムツ着用の乳幼児及び大人は、大浴場の利用不可。家族風呂(貸切風呂)の利用を。
流刑となった源頼朝が14歳から34歳までを過ごした地。平治の乱後、平清盛は源氏一族の血を絶つため頼朝を殺そうとしたが、清盛の継母池禅尼[いけのぜんに]の命乞いによって頼朝はこの地に流された。当時は中洲だった小島も、今では田園に囲まれた小さな公園に変わり、園内に記念碑が立つ。
わさびをとことん満喫できるわさび製品の専門店。店内には本物の「わさび田」があり、間近でわさびを見ることができる。
古奈温泉側から源氏山に上る途中に立つ、西琳寺の別堂。菖蒲御前[あやめごぜん]が夫である源頼政[みなもとのよりまさ]を亡くした後、尼となって住んだ庵跡だ。御前は古奈で生まれ、後鳥羽上皇に仕えた美女。夫の源頼政はヌエ退治で有名な武将。堂内には、弘法大師の作と伝わる弥勒菩薩が安置され、お堂の前に御前ゆかりの桜の古木「美女桜」がある。
「買う・遊ぶ・食べる・泊まる」が丸ごと楽しめる複合型道の駅。いちごをコンセプトとしたいちご専門店いちごBonBonBERRY伊豆の国factoryでの買い物他、HESO HOTELを拠点に、自転車メーカーMERIDAの最新モデルをレンタルして、伊豆半島周遊など様々な楽しみ方を選ぶことができる。
1400坪の大庭園を有する木造数寄屋造の建物もある和風旅館で、日帰り入浴が可能だ。提案しているのは、ゆったりとした湯治スタイル。日帰りであっても男性44床・女性11床の岩盤浴を中心に、ミストサウナ、かけ流し露天風呂のラドン湯、クールダウンのためのストーンセラピーを自由に利用できる。1室4名定員5500円(入浴料別)のルームレンタルもあり、家族でも気兼ねなくくつろげるのも魅力だ。
安政4年(1857)、韮山代官だった江川太郎左衛門英龍の進言で建設された鉄製大砲を鋳造するための炉。嘉永6年(1853)のペリー来航、欧米各国のアジア進出に対抗するため、軍備の近代化を目的として建設された。実際に稼働した反射炉として、ほぼ完全な形で残るのは全国でもここだけ。2基の反射炉の外側は伊豆石、煙突部分は3段構造で127段のレンガが積まれ、煙突を含め高さは約16m。内側は耐火レンガのアーチ積み。天井に熱を反射させて一点に集中し、金属を溶かす構造。平成27年(2015)7月には韮山反射炉を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された。
江戸幕府から韮山の世襲代官に任命されていた江川家の邸宅。坦庵[たんなん]公と呼ばれ、兵糧用のパンを初めて焼いたり、反射炉の起工に力を注いだ江川太郎左衛門英龍[えがわたろうざえもんひでたつ]も住んでいた。母屋(重要文化財)は江戸時代の代官屋敷をそのままの形で今に伝える。太い梁を中心に細い木を格子状に組んだ天井がみどころ。建築学的に貴重な遺構で、優れた耐震構造をもつ。天保14年(1843)英龍が開校した「韮山塾の間(部屋)」も見学できる。テレビドラマの撮影でも使用されたことがある。所要30分。
伊豆長岡温泉のほぼ中央を占める、高さ約100mの丘。頂上まで赤松の茂る2本の遊歩道が通じている。それぞれ西琳寺[さいりんじ]口・温泉場口から入り、いずれも頂上まで徒歩約12分。途中、傾斜がきついところもあるので、運動靴が無難。山頂には展望公園が開け、展望台が2つある。一方は狩野川を見下ろし、もう一方は長岡の温泉街と天城の山を望み眺めがよい。
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