安政4年(1857)、韮山代官だった江川太郎左衛門英龍の進言で建設された鉄製大砲を鋳造するための炉。嘉永6年(1853)のペリー来航、欧米各国のアジア進出に対抗するため、軍備の近代化を目的として建設された。実際に稼働した反射炉として、ほぼ完全な形で残るのは全国でもここだけ。2基の反射炉の外側は伊豆石、煙突部分は3段構造で127段のレンガが積まれ、煙突を含め高さは約16m。内側は耐火レンガのアーチ積み。天井に熱を反射させて一点に集中し、金属を溶かす構造。平成27年(2015)7月には韮山反射炉を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された。
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