
大瀬崎断崖
東シナ海の荒波によってできた高さ100~160mの断崖が周囲約20kmも続く。岬の突端には岬のシンボルともいえる大瀬崎灯台がそびえ、眼下に広がる青い海と岬の緑、白亜の灯台とがおりなす色のコントラストが美しい。
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東シナ海の荒波によってできた高さ100~160mの断崖が周囲約20kmも続く。岬の突端には岬のシンボルともいえる大瀬崎灯台がそびえ、眼下に広がる青い海と岬の緑、白亜の灯台とがおりなす色のコントラストが美しい。
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の見どころを、ガイドとともに巡る観光コース。出発地は五島市福江島の福江港ターミナルで、定期船や海上タクシー、タクシーなどを使ってガイドとともに回る。見学ポイントは久賀島の「牢屋の窄殉教記念教会堂」や「旧五輪教会堂」、奈留島の「江上天主堂(カトリック江上天主堂)」、昼食後は新上五島町・若松島にあるキリシタン洞窟やハリノメンドを船上から見学し、若松港で解散。催行は7名~、出発日の7日前までに要予約。10~4月は催行日や催行条件が変更となるので要確認。
「日本の渚百選」「快水浴場百選」に選定された海水浴場。輝くほどの白銀色の砂浜を取り囲むように連なる山々の深い緑、波打ち際から水色、青色、藍色と何層にも深まり、東シナ海へと広がる様は、まばゆいくらいの美しい眺めである。日本最西端の海水浴場に沈む日本最後の夕日であり、西の沖に浮かぶ嵯峨島や水平線を真っ赤に染めながらの大きな真紅の落陽は、雄大であり、旅人の旅情を慰めてくれる。
サンゴが群生し、福江海中公園に指定されている竹の子島周辺を巡る半潜水式グラスボート。木口汽船は久賀島教会巡りなどのクルーズ船も運航。
福江港ターミナル発着の久賀島・奈留島を巡る観光コース。定期船や海上タクシー、タクシーなどを使って、奈留島の「奈留島世界遺産ガイダンスセンター」や「江上天主堂(カトリック江上教会)」、久賀島の「旧五輪教会堂」、「牢屋の窄殉教記念教会堂」などをガイドとともに見学する。催行は2名~、原則催行日の3日前までに要予約(催行決定の場合は当日12時まで受付け可)。10~3月には、コース名やコース内容や催行条件などが変更になるので、確認を。
福江城の二の丸跡に立つ、天守閣をイメージした資料館。1階展示室では、最初にハイビジョンシアターで五島の観光映画を見よう。特産品・郷土料理や観光スポットなど6つのジャンルごとに映像で紹介する「観光ガイド」コーナーやサンゴや椿油などの「特産品」、「バラモン凧」のコーナーも。縄文時代~弥生・古墳時代の遺跡を紹介する「五島のあけぼの」から「遣唐使と倭寇」、「五島の寺社仏閣」、江戸期の「五島藩の形成」まで、五島の歴史を紹介する2階展示室には、五島列島を測量した伊能忠敬のコーナーもある。3階展示室では、世界文化遺産に登録された潜伏キリシタンに関する実物資料を展示する「五島キリシタン史」コーナーの体感シアターが好評で、「チャンココ」などの民俗行事や農業、漁業、捕鯨文化など、多彩な五島の魅力に出合える。特別展示も企画されている。
五島家第三十代盛成の隠殿(隠居所)として、石田城の二の丸の西南端に建てられ、「隠殿屋敷」とも呼ばれた。設計は京都の僧・全正で、金閣寺の丸池を模した回遊式庭園は、風情があり心を和ませてくれる。庭石と築山は鬼岳の溶岩を用いており、ビロウやソテツなどの亜熱帯植物を多く配しているのも特徴。作庭時期が明確で、建物も一体となって保存されており、数少ない城郭内の庭園であることから国の名勝に指定されている。「心」の文字をかたどった心字が池には、亀が好きだった盛成公らしく、いたるところに亀に似た石が配され、池畔には樹齢840年のクスノキが立つ。文久元年(1861)落成の書院内では、玄関の間の屏風に書かれた全正の辞世の句が見事。客間の「亀の間」では釘隠しや欄間にかわいらしい亀が配され、盛成の居間「梅の間」では、左右で異なる障子の桟のデザインや藍染と金箔が施された梅の壁紙がモダンさを感じさせる。
五島列島南部の久賀島東岸、奈留瀬戸に面して立つ小さな教会堂。久賀島初の教会堂は、明治14年(1881)建立の旧浜脇教会堂で、昭和6年(1931)の建替えを機に、かつての潜伏キリシタンの集落・五輪地区が譲り受け、現在地に移された。昭和60年(1985)にすぐ隣に新しい教会堂が建設され、この旧教会堂は文化財として福江市(現五島市)に寄贈されて修復工事が施された。五島で最古の木造教会で、外観に民家の形式を残した瓦葺木造平屋建て。創建時の形態をよく残しているが、移築の際に正面玄関が加えられ、祭壇背後の下屋も拡張された。内部は三廊式で、板張りのリブ・ヴォールト天井となっており、装飾の少ない礼拝空間をもつ初期の木造教会建築の代表例として国の重要文化財に指定されている。
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産で、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するために選んだ移住先の一つ。18世紀末、五島藩と大村藩の協定により、大村藩の外海地域から潜伏キリシタンの農民が、久賀島にも開拓民として移住。永里や細石流[ざざれ]、大開[おおびらき]、五輪などの集落をつくった。観音像をマリア像に見立てたマリア観音に祈りをささげるなど、集落ごとに指導者を中心にひそかに信仰を続けたという。明治元年(1868)から始まったキリシタン弾圧「五島崩れ」のきっかけは、久賀島の潜伏キリシタンらが長崎で洗礼を受けたことから。今も島内には「牢屋の窄殉教事件」などの史跡が残り、仏教徒の島民と行った漁網の巻き揚げ作業のロクロ場跡、解禁後に建てられた浜脇教会や旧五輪教会堂、各集落に残る潜伏キリシタンの墓地などが歴史を物語っている。
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つ。江上集落は、五島列島中部の奈留島北西部に位置する集落。江戸時代末期に、五島藩との協定で大村藩領の外海から移住してきた潜伏キリシタンの一部は、奈留島の永這[ながはえ]や椿原、南越など島内各所に集落を形成した。人里離れた海に近い谷間の江上にも4戸が入植。各集落とも指導者を中心に信仰をひそかに続け、キリスト教解禁後も奈留島では潜伏時代の信仰を維持する人々が多くいたという。江上集落の人々は明治14年(1881)に全員がカトリックに復帰し、明治末期には簡素な教会を建てた。現在の江上天主堂は大正7年(1918)の建立。江上地区を散策すれば、移住地の典型例である谷迫地形[たにさこちけい]の集落の様子や、それに適応して建築された木造教会堂の代表例である江上天主堂の静かなたたずまいを見ることができる。
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