霊雲院
東福寺塔頭のひとつで、明徳元年(1390)創建。重森三玲が復元した九山八海の庭の中央には、熊本藩細川家から贈られた遺愛石がある。この石は寺領五百石を辞退した代わりに拝領したものという。もう一つの臥雲[がうん]の庭も美しい。また、日露戦争中、ロシア人捕虜を収容し、彼らが木や竹で作った楽器なども陳列している。12歳以下の拝観は不可なので注意。
- 「東福寺駅」から徒歩7分/「鳥羽街道駅」から徒歩11分
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東福寺塔頭のひとつで、明徳元年(1390)創建。重森三玲が復元した九山八海の庭の中央には、熊本藩細川家から贈られた遺愛石がある。この石は寺領五百石を辞退した代わりに拝領したものという。もう一つの臥雲[がうん]の庭も美しい。また、日露戦争中、ロシア人捕虜を収容し、彼らが木や竹で作った楽器なども陳列している。12歳以下の拝観は不可なので注意。
東福寺の境内に立つ。「じゅうまん不動」と呼ばれ、火除け信仰がある。五大堂に安置されている本尊の平安時代の不動明王像。
東福寺塔頭の一つ。元享年間(1321~24)に、関白一條内経が父の菩提を弔うために創建したが、火災などで衰え、慶安年間(1652~1705)に一條兼輝が再興した。室町後期の画家・雪舟等楊[とうよう]の築造と伝わる鶴亀の庭があることから、別名雪舟寺とも呼ばれる。また、江戸時代に「茶関白」と呼ばれた一條恵観[えかん]が、東福寺参詣の際には茶席図南亭[となんてい]にて茶を楽しまれたと伝えられる。
嘉禎2年(1236)に建立された禅刹で、京都五山の一つ。境内は広く、日本最古の三門(国宝)、禅宗寺院様式の東司[とうす](トイレ、重要文化財)、堂本印象が龍を天井に描いた本堂などが立つ。本坊の庭園は東西南北それぞれ趣が異なり、苔と敷石とが市松模様になっている北庭が特に名高い。洗玉澗[せんぎょくかん]に架かる、通天橋[つうてんきょう]付近の紅葉もみごと。秋の拝観期間中は駐車場が閉鎖されているので注意。
泉涌寺の塔頭。庭園は「含翠庭[がんすいてい]」といい、侘た佇まいを見せる。庭に茶室・含翠軒があり、どらちも大石内蔵助が造ったものと伝わる。荒神堂へと上がる石段の右側には、「弘法大師独鈷水」という霊泉が湧き出ている。荒神坐像(重要文化財)は別名「ゆな荒神」と呼ばれ、安産の神として信仰されている。
皇室とゆかりが深く、御寺[みてら]と呼ばれる古刹。境内には狩野探幽作の天井絵などが見られる仏殿(重要文化財)がある。大門近くの観音堂には、唐の玄宗皇帝[げんそうこうてい]が楊貴妃の冥福を祈り造らせたという楊貴妃観音坐像(重要文化財)が祀られ、良縁や安産、美容に御利益があるという。
東福寺の塔頭であり筆の寺として知られる。毎年11月23日には、筆塚前で使い古した筆記具を護摩木にくべて感謝する、筆供養が行われる。
菟道稚郎子命[うじのわきいらつこ]を祭る宇治神社。境内に応神天皇を祭る社が摂社として建てられ、明治時代に分離し宇治上神社となった。鎌倉時代初期建立の本殿(重要文化財)に、菟道稚郎子のほぼ等身大の坐像(重要文化財)を祭る。
平等院の鳳凰堂は正式には阿弥陀堂というが、屋根に鳳凰が載り、また両翼と尾部を延ばした建築は鳥が羽を広げたようにも見えることから、そう呼ばれるようになった。堂内も絢爛豪華で、仏像や壁画などはすべて国宝。本尊阿弥陀如来は仏師定朝[じょうちょう]の最高傑作といわれ、精緻な装飾を施した天蓋も必見。
平安後期の永承7年(1052)に、関白・藤原頼通が父・道長の別荘を寺に改めたのが始まり。平安貴族が夢見た極楽浄土を形にした鳳凰堂(国宝)は十円玉にも刻まれ、その優美な姿はあまりにも有名。当初は広大な伽藍を誇ったが戦火で大半を焼失。現在残るのは、阿字池の中島に立つ、天喜元年(1053)に建立された阿弥陀堂の鳳凰堂だけ。鳳凰堂を含む浄土式庭園は国指定名勝・史跡だ。境内にある鳳翔館では国宝の梵鐘や屋根の鳳凰などを展示。鳳凰堂の内壁を飾った雲に乗って楽器を奏でる雲中供養菩薩像も半数の26体が展示されている。
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