
鏡忍寺
弘安4年(1281)建立の日蓮宗本山の一つ。文永元年(1264)、この地を訪れた日蓮が、念仏宗の門徒東条景信[とうじょうかげのぶ]に襲われた、いわゆる小松原の法難の際、日蓮をかばって討ち死にした弟子鏡忍坊と工藤吉隆の菩提を弔うために建てられた。境内には難にあったときに鬼子母神が現れて日蓮を守ったという巨木・降神槙[こうじんのまき]が残っている。アジサイの名所としても有名。
- 「安房鴨川駅」から徒歩22分
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弘安4年(1281)建立の日蓮宗本山の一つ。文永元年(1264)、この地を訪れた日蓮が、念仏宗の門徒東条景信[とうじょうかげのぶ]に襲われた、いわゆる小松原の法難の際、日蓮をかばって討ち死にした弟子鏡忍坊と工藤吉隆の菩提を弔うために建てられた。境内には難にあったときに鬼子母神が現れて日蓮を守ったという巨木・降神槙[こうじんのまき]が残っている。アジサイの名所としても有名。
木更津駅前の富士見通り沿いにある日蓮宗の寺。薬医門をくぐると、境内には本堂、七面堂、客殿、鐘楼堂などが立つ。実話をもとに書かれた歌舞伎の名狂言『与話情浮名横櫛』[よわなさけうきなのよこぐし]で有名な切られ与三郎のものと伝えられる墓があり、歌舞伎役者も参拝に訪れる。
地元では崖の観音として親しまれるように、観音堂は舞台造で、船形山中腹の断崖に、朱塗りの堂が張り付くように立っている。行基により養老元年(717)に開基され、関東大震災後、大正14年(1925)に再建された。堂の奥には行基が漁師の安全と豊漁を祈願して刻んだとされる高さ1.5mの磨崖仏がある。
7世紀頃の白鳳時代に建てられた由緒ある神社。太い組木や力強い彫刻など、室町時代中期の建築美を残す本殿は国指定重要文化財。拝殿は、元禄4年(1691)に再建されたもので、県の有形文化財に指定されている。また、境内にある大きなイチョウの木は推定樹齢800年を超える県指定の天然記念物。地上から2mほどのところから幹が大きく2つにわかれていることから、夫婦銀杏とよばれている。毎年9月頃には、足利義満[あしかがよしみつ]が神輿を奉納したことに始まる飯香岡八幡宮秋季大祭が行われる。
日本寺境内の鋸山中腹に点在する。ロープウェー鋸山山頂駅の展望台から下り、徒歩30分ほど歩いて千五百羅漢道に出ると、幾つかの岩窟の中に全部で1553体の石仏が並んでいる。大野甚五郎らが安永8~寛政10年(1779~1798)に彫り続けた羅漢像だ。
狸ばやしの童謡のモデルとなった寺。浄土真宗本願寺派の学問寺として、また、寺子屋として古くから親しまれてきた。境内で踊っていたタヌキと和尚の伝説にちなみ、野口雨情[うじょう]が作詞、中山晋平が作曲したのが『証城寺のたぬきばやし』だ。萩やヤマブキの名所として知られる庭園には、野口雨情の詩碑のほか、大タヌキを葬ったという狸塚もある。
浦賀水道に面した標高120mの大坪山山頂に立つ高さ56mの観音像。地元出身の材木商である宇佐美氏が戦没者慰霊のために4年の歳月をかけて建てたもので、昭和36年(1961)に完成した。胎内に13仏7福神が安置され、314段のらせん階段を上っていく途中、腕、肩、冠にある展望窓から東京湾が望め、冠部分にある展望台からの眺めもよい。
養老元年(717)に僧行基が創建したと伝えられる坂東三十三霊場の結願寺[けちがんじ]。源頼朝や里見氏など、武家の信仰を集めてきた。本尊を模した銅造の千手観世音像は国の重要文化財。本堂横から山頂まではスダジイやタブノキなどの自然林に囲まれた徒歩40分の遊歩道が通じ、山頂からは館山湾が一望できる。
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