
冨塚八幡宮
延久4年(1072)、源頼義、義家父子が誉田別命[ほむだわけのみこと](応神天皇[おうじんてんのう])と富属彦命[とつぎひこのみこと](相模国造二世の孫)を勧請[かんじょう]。本殿は天保11年(1840)、拝殿は昭和9年(1934)に奉献された。山頂には富属彦命の墳堂があり、これを富塚と称し、戸塚の地名が付いたといわれている。
- 「戸塚駅」から徒歩16分
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延久4年(1072)、源頼義、義家父子が誉田別命[ほむだわけのみこと](応神天皇[おうじんてんのう])と富属彦命[とつぎひこのみこと](相模国造二世の孫)を勧請[かんじょう]。本殿は天保11年(1840)、拝殿は昭和9年(1934)に奉献された。山頂には富属彦命の墳堂があり、これを富塚と称し、戸塚の地名が付いたといわれている。
東海道沿いにある静かな古刹。徳川家康の侍女、お万の方が小石川伝通院白誉[びゃくよ]上人を請じて開山した。「清源院」はお万の方の法号。お万の方を火葬した寺でもあり、その跡もある。本尊は歯吹阿弥陀如来で、7月18日に開帳される。
玉縄北条氏菩提寺。龍寳寺は昭和26年(1951)の火災により建物のほとんどが焼け、残ったのは山門と鐘楼[しょうろう]だけとなるが、昭和35年(1960)に、大岡実博士の設計で本堂が再建された。
大船観音寺の境内にある白い巨大な観音像は、優美な顔立ちが印象的。高さ25.39m、重量1915トン。昭和初期に造り始め、戦争で一時中断したが昭和35年(1960)に完成した。小高い丘の上に立ち、東屋から大船の町並みが一望に見渡せる。観音像の胎内には20分の1の原形像が祭られている。
明治27年(1894)創建。小田原出身で江戸時代に農村の復興に力を注いだ二宮尊徳翁を祀る。向かいには尊徳の遺品や資料を展示する報徳博物館(料金:300円(小学生以下無料)、時間:9~17時、水曜休館・ほか不定休あり、電話:0465-23-1151)が建つ。
正中2年(1325)に創建された時宗の総本山。黒塗りの惣門を入ると石畳の参道が続き、境内には本堂、一遍上人像、宝物館、山内の長生院に浄瑠璃で知られた小栗判官と照手姫の墓がある。
真鶴港を見下ろす高台に立ち、町の鎮守として親しまれている。寛平元年(889)の創建で、大国主神[おおくにぬしのかみ]、事代主神[ことしろぬしのかみ]、少彦名神[すくなひこなのかみ]を奉る。厄除・商売繁盛・良縁祈願などに御利益があり、毎年7月に重要無形民俗文化財指定「貴船まつり」が盛大に執り行われる。
土肥実平[どいさねひら]の菩提寺で、一族の墓や本堂、七騎堂、五輪塔などが立つ。実平は石橋山の合戦で平家に敗れた源頼朝を大庭景親の軍勢から守り、源氏再興に尽力した「頼朝七騎」の一人。境内には実平自らが植えたという、樹齢約800年のビャクシンの大木(天然記念物)がある。また、寺からは、土肥実平の居城があった城山へ行くことができる。山頂には土肥城址があり、真鶴半島や相模湾などを一望できる。
垂井町にある南宮大社。金山彦[かなやまひこ]大神を主祭神にまつり、鉱山や金属業の総本宮として知られている。古くから美濃一の宮として源頼朝[みなもとのよりとも]らの厚い尊崇を受けていたが関ケ原合戦の際に焼失した。寛永19年(1642)に徳川家光によって現在の社殿が再建された。杉の古木に囲まれた豪壮な社殿様式は独特の造り。石輪橋[いしわばし](重要文化財)、下向橋[げこうはし](重要文化財)を前に楼門(重要文化財)や高舞殿[こうぶでん](重要文化財)が縦に並び、回廊(重要文化財)など18棟から構成。また、51年ごとに式年遷宮が行われる。
7世紀後半の白鳳時代に開創。関所鎮護の仏堂が寺の始まりと伝えられ、梵鐘[ぼんしょう]や書画などの文化財を収蔵。山門や鐘楼など歴史的な建造物も多い。足利尊氏と徳川家康ゆかりの寺でもあり、家康が指図したという池泉庭園は国の指定名勝。夏目漱石・高山樗牛・与謝野晶子など多くの文人・詩人が訪れ、天明年間(1781~88年)の作とされる五百羅漢石像は島崎藤村の小説にも登場する。また、平成29年(2017)10月には、江戸時代に朝鮮通信使が当寺に遺した書跡48点がユネスコの「世界の記録」に登録された。
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