
菅原天満宮
菅原家発祥の日本最古の天満宮。祭神は菅原道真公・天穂日命・野見宿称の三神を祀る延喜式内社。この地にて菅原家が発祥し道真公の誕生所としての伝承があり、産湯をとった天神堀が残っており全国各地より受験・試験合格祈願の参拝者がたえない。盆梅展では、境内の梅に加え130品種約200鉢もの盆梅で境内が梅の香りに包まれる。
- 「尼ケ辻駅」から徒歩12分/「大和西大寺駅」から徒歩17分
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菅原家発祥の日本最古の天満宮。祭神は菅原道真公・天穂日命・野見宿称の三神を祀る延喜式内社。この地にて菅原家が発祥し道真公の誕生所としての伝承があり、産湯をとった天神堀が残っており全国各地より受験・試験合格祈願の参拝者がたえない。盆梅展では、境内の梅に加え130品種約200鉢もの盆梅で境内が梅の香りに包まれる。
天文10年(1541)、今井兵部[ひょうぶ]が開いた浄土真宗の道場がのちに寺に改められた。今井町はこの寺の境内地から寺内町として発達したもので、初代兵部以来、現在まで今井家が住職を務める。本堂は重要文化財。
畝傍山[うねびやま]の麓に位置し、第一代天皇の神武天皇と皇后を祀る。神武天皇が畝傍山東南の橿原宮で即位したという『日本書紀』の記述に基づき、明治23年(1890)に創建。本殿(重要文化財)は京都御所の内侍所[ないしどころ](賢所[かしこどころ])を移築したもので、手前に内拝殿、外拝殿が立つ。神域は約53万平方mにおよび、玉砂利が敷き詰められた内拝殿前の外院斎庭も清々しい。
光仁天皇の勅願で、奈良時代最後の官寺として創建されたと伝わる。すっきりとした本堂(国宝)は、創建時の講堂を鎌倉時代に大修理したものといわれる。堀辰雄が東洋のミューズと称賛した伎芸天[ぎげいてん]像(重要文化財)は本堂に安置。ふっくらと美しく、頭を傾けた姿が魅力的だ。頭部のみ天平時代の乾漆造で、胴体は鎌倉時代の補作。同様の造りの帝釈天像(重要文化財)もまつる。ほかに本尊薬師如来像(重要文化財)、日光・月光菩薩像(重要文化財)などを安置する。小中学生は拝観不可。
身体健全、ぼけ封じ、厄除けに御利益があるとされる、高野山真言宗の寺院。イングリッシュローズなど3800種ものバラが咲き誇ることでも有名。春と秋にはバラまつり、夏には大和の夏の風物詩として有名な風鈴まつり、12月1日~GWまでは提灯まつりも開催される。
大和郡山の町中に佇む秀長の菩提寺。旧寺号は東光寺と称し、春岳院の名は秀長の戒名による。本堂は正徳元年(1711)の再建。寺宝に足利尊氏の念持仏という千手観音を伝え、狩野貞信[かのうさだのぶ]筆の秀長画像などもある。秀長統治時代の郡山を知る資料も数多く伝える。拝観は事前に連絡を。
続日本記に詳述されているとおり、奈良時代(749年)平城宮の南。梨原の薬園新宮内に設けた神殿に迎え祀られる。梨原の地はもと薬園のあったところで新宮の名もこれに因む。現在の社殿は桃山時代の再建とみられ(奈良県文化財指定)、一間社隅木入春日造で桧皮葺き、要所に極彩色が残り、彫刻や鍍金[ときん]金具などに独特の華やかさをみることができる。美しい釣灯籠も見ておきたい。境内には約50種類程の薬草見本園がある。
唐招提寺の金堂の西、土塀に囲まれて授戒のための戒壇がある。花崗岩を3段に重ねた石積みで、宝塔を壇上中央に置いている。
養老5年(721)、行基を開基として創建。創建当初の旧礎の上に室町時代に再建された本堂(重要文化財)が残る。堂は行基菩薩が東大寺大仏殿の造営にあたり、喜光寺の本堂を雛形としたという伝承があり、「試みの大仏殿」とも呼ばれる。堂内には、平安時代後期(藤原時代)の阿弥陀如来坐像(重要文化財)を安置。行基菩薩はこの寺で没し、生駒の竹林寺に葬られた。6月中旬~8月上旬には250鉢の蓮の花が見頃をむかえる。
唐招提寺の金堂と講堂の間にある2階建ての建物。入母屋造、本瓦葺きで、正面3間、側面3間と小規模ながら整った仁治元年(1240)建立の鎌倉建築で、国宝。鑑真和上が唐から将来した仏舎利を安置していることから舎利殿とも呼ばれている。毎年5月に行われるうちわまきの行事はここで行われる。
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