
本能寺
織田信長が明智光秀に討たれた寺として知られているが、当時は四条西洞院にあった。天文15年(1587)、現在地に移転。境内には信長の供養塔も立つ。
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織田信長が明智光秀に討たれた寺として知られているが、当時は四条西洞院にあった。天文15年(1587)、現在地に移転。境内には信長の供養塔も立つ。
法然上人の遺跡である加茂釈迦堂を前身とした浄土宗の大本山。元弘元年(1331)大地震が発生した際に疫病が流行り、第八世善阿空圓上人が勅命により百萬遍の念仏を唱えて疫病を鎮め、後醍醐天皇より百萬遍の名を賜ったという。境内には正面に法然上人の御影像を祀った御影堂があり、東に本堂である釈迦堂、西に阿弥陀堂が立ち並ぶ。毎月15日(8月のみ25日)には写経会があり13時からの御影堂での法要では大念珠繰りが行われる。同じく毎月15日には約350軒もの手作りの品が出店される「手づくり市」が開催される。
吉田山の麓にある古社。貞観元年(859)に藤原山蔭[ふじわらのやまかげ]が、平安京の鎮守社として創建したのが始まり。その後、文明年間(1469~87)に吉田兼倶[よしだかねとも]が吉田神道を提唱し、全神道の頂点に位置づけた。境内の斎場所大元宮[さいじょうしょたいげんぐう](重要文化財)は兼倶が創建したもので、全国の式内神3132座を合祀。ここにお参りすれば全国の神祇に参詣したのと同じ御利益があるとされている。2月の節分行事は盛大で、多くの参詣者で賑わう。紅葉の時期は、山頂から麓までのわずかな気温差による美しいグラデーションが見られ、社務所前や山頂の竹中社から大文字を望む景色が美しい。
全国に約3000社ある祇園社の総本社。「祇園さん」の名で親しまれている。社殿は本殿と拝殿の建物を1つの屋根でおおった祇園造と呼ばれる建築様式で、国宝に指定。夏の祭礼・祇園祭は、貞観11年(869)の疫病流行の際、その災厄除去を祈ったことに由来する。大晦日~元旦の「をけら詣り」も参拝者が多く、をけらの根を混ぜて焚いた浄火を吉兆の縄に移して持ち帰り、新年の神棚の灯明にしたり、雑煮の釜の火種にして、一年の無病息災を祈る。境内の太田社は芸事上達に御利益があるとされ、祇園の芸妓や舞妓もお参りに訪れる。
慶長10年(1605)、伏見城の化粧御殿と庭園を移築したのが起こり。夫・秀吉の死後、出家して高台院となった北政所ねねが伏見城の化粧御殿を移築し、寺に改めた高台寺の塔頭。印象の違う2つの庭に加え、桃山時代の画家・長谷川等伯の襖絵など、多くの重要文化財も有している。境内には高台寺の宝物などを展示する掌美術館も併設。春と秋の夜間ライトアップは幻想的な雰囲気。「秀吉公ゆかりの神仏への献茶手前」という特別茶席も行っている(拝観料別2000円)。神仏への献茶法を元に、古田織部が考案し秀吉が絶賛した最上位の武家点前。武士の覚悟が表現されている。記念扇子付き。ライトアップ期間の拝観時間は10~22時(受付終了21時30分)。
豊臣秀吉の正室、高台院(北政所ねね)が慶長11年(1606)に秀吉の菩提を弔うために開いた寺。創建当初は広大な寺域をもつ壮麗な寺であったが、度重なる火災に遭っている。桃山様式の創建当時の面影を残すのは、開山堂(重要文化財)と、須弥檀や厨子の高台寺蒔絵で名高い霊屋[おたまや](重要文化財)、伏見城から移した茶室傘亭(重要文化財)と時雨亭(重要文化財)、表門(重要文化財)、観月台(重要文化財)など。東山を借景にした小堀遠州作の庭園(名勝・史跡)も見ごたえがある。
天智天皇時代(668~671)に藤原鎌足が創建したと言われる藤寺に始まり、祭神の崇徳上皇が保元の乱で讃岐に配流され崩御されたのち、光明院観勝寺が安井金比羅宮の起こりと言われている。崇徳上皇が一切の欲を断って「おこもり」をしたことから、全ての欲を断ち切る祈願所とされ、現在は悪縁を切り良縁を結ぶ神様として多くの人が参拝に訪れ、信仰されている。境内にある縁切り・縁結び碑は絵馬を象ったもので、中央にある穴を表からくぐると悪縁が切れ、裏からくぐると良縁が結ばれるとされている。
四条通の賑やかな繁華街にある小さな寺。本尊の地蔵菩薩は、元は「雨止み地蔵」とよばれ、鴨川の氾濫を鎮めたそう。春日仏師の作と伝える丈六座像木彫の千手観世音菩薩像。
弘仁2年(811)、日圓上人が紀州熊野大神を勧請したのが始まり。国生みを行った夫婦神伊弉冉命・伊弉諾命とその御子神天照大神を祀る。ご利益は縁結び・安産・病気平癒・健康長寿。熊野牛王宝印・からす守り・なぎ守り・サッカー守り授与。
白河上皇ゆかりの門跡寺院。寛治4年(1090)、白河上皇が熊野三山に参詣した際、先達を務めた増誉[ぞうよ]僧正に与えた寺で、全国の修験者を統括したのが起こり。その後、後白河天皇の皇子が4世として入って以来、門跡寺院となった。宸殿、本堂、書院(重要文化財)など現在の建物は延宝年間(1673~81)の建築。天明・安政の京都御所の火災の際、光格・孝明天皇が仮皇居としたことから史跡に指定。狩野派絵師による170面以上の障壁画や当時の上段の間、御学問所、茶室も残る。拝観は秋の特別公開期間。申し込み不要。
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