
清閑寺
延暦21年(802)創建で、『平家物語』によると小督[こごう]の局が宮中を追われ出家した寺。山中には小督の局を愛した高倉天皇の陵や、西郷隆盛と清水寺住職月照上人が謀議をした茶室郭公亭がある。清水寺から清閑寺へ向かう杉並木の山道は古くから知られた紅葉の名所。途中にある清水寺塔頭泰産寺[たいさんじ]の子安塔(重要文化財)は、安産祈願で有名。江戸時代初期の再建で、もとは坂上田村麻呂の娘が皇子の誕生を祝って建てたものという。この場所からは清水寺を一望できる。
- 「御陵駅」から徒歩24分
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延暦21年(802)創建で、『平家物語』によると小督[こごう]の局が宮中を追われ出家した寺。山中には小督の局を愛した高倉天皇の陵や、西郷隆盛と清水寺住職月照上人が謀議をした茶室郭公亭がある。清水寺から清閑寺へ向かう杉並木の山道は古くから知られた紅葉の名所。途中にある清水寺塔頭泰産寺[たいさんじ]の子安塔(重要文化財)は、安産祈願で有名。江戸時代初期の再建で、もとは坂上田村麻呂の娘が皇子の誕生を祝って建てたものという。この場所からは清水寺を一望できる。
紅葉の名所として知られる天台宗の寺。真如堂の名で親しまれている。永観2年(984)、戒算上人が比叡山常行堂にあった阿弥陀如来像(重要文化財)を本尊にして開いた。この像は慈覚大師円仁の作と伝え、別名を「うなずきの弥陀」と呼ばれ、女人救済に御利益があるとされる。現在の堂宇は江戸時代中期の再建で、広大な境内には本堂(重要文化財)、三重塔、大師堂、鐘楼堂、塔頭寺院が立ち並び、大寺院の風格が漂う。11月5~15日の十夜大法要[じゅうやだいほうよう]が行われ、15日には阿弥陀如来像を開扉。寺宝の大涅槃図は、3月1日~4月第1日曜まで公開される。
南禅寺船溜りから夷川ダムに至る岡崎エリアの琵琶湖疏水。文化・交流ゾーンとして京都市京セラ美術館・平安神宮・みやこめっせ・ロームシアター京都等が点在している。春には疏水沿いに多くの桜が咲く。満開の時期には十石舟(往復約3km、約25分)で水上からの花見が楽しめる。乗り場は京都市動物園近くにあり、15分毎に一便運航している。
岡崎公園は、明治28年(1895)開催の第4回内国勧業博覧会跡地の一部を公園地として指定されたもので、京都市を代表する総合公園の一つだ。付近には、ロームシアター京都、京都市京セラ美術館、京都市動物園、琵琶湖疏水やインクライン、京都府立図書館など、様々な文化交流施設が集積している。
臨済宗南禅寺派の大本山。正応4年(1291)、亀山法皇の離宮を、大明国師を開山に迎えて寺に改めた。創建時の建物は応仁の乱の兵火で焼失し、現在の伽藍は桃山時代以降の再建。国指定重要文化財の高さ22mの三門は、藤堂高虎が大坂夏の陣で命落した将士を弔うため寛永5年(1628)に再建。歌舞伎『楼門五三桐』で、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」の名セリフで見得を切るシーンで有名だ。御所の殿舎を移築した大方丈と伏見城遺構の小方丈から成る国宝の方丈の襖絵は、狩野永徳や狩野探幽ら狩野派の作で国指定重要文化財。国指定名勝の小堀遠州作庭の方丈庭園も見事。
永観堂の名で親しまれ、紅葉の名所としても知られる。平安時代初期、弘法大師の弟子真紹[しんじょう]僧都により創建されたが、後に永観律師が念仏修行の場として、民衆を救った功績から永観堂と呼ばれるようになった。本尊の阿弥陀如来立像(重要文化財)は左後方を振り返る姿で、「みかえり阿弥陀」とも呼ばれる。
維新の志士や大東亜戦争の戦没者の霊を祀る神社。坂本龍馬と中岡慎太郎の墓や、二人が並んだ銅像もあり、修学旅行生や維新の志士ファンが参拝訪れる。参道の坂道は維新の道と呼ばれ、春は桜、秋はモミジが美しい。11月15日には坂本龍馬命日祭「龍馬祭」が行われ、奉納演舞「龍馬よさこい」が披露される。
八坂神社の境内に続く円山公園は、明治19年(1886)につくられた、市内最古の公園。園内には料亭や茶店、野外音楽堂などの施設が点在している。花見の名所で、なかでも「祇園の夜桜」の名で知られる大樹は、毎年この花のために京都を訪れる人もあるという。現在の樹は二代目で、桜守としてしられる佐野藤右衛門氏と同じ昭和3年(1928)生まれ。春の宵、ライトアップされた夜桜とぼんぼりの灯で、園内は幻想的な桜色に浮かび上がる。
南禅寺の近くに位置する蹴上インクラインは、明治期に敷設された全長約582mの傾斜鉄道を形態保存したもので、国の史跡にも登録されている。運行当時は、舟を台車に載せて、高低差約36mの斜面を行き来していた。春には線路沿いにソメイヨシノ約90本が咲き、線路内を歩きながら桜を楽しむことができる。また、近くにある琵琶湖疏水記念館では、インクラインの模型などを展示している。
天台宗の門跡寺院であり、本尊の毘沙門天は京の七福神の一つに数えられる。創建は大宝3年(703)。かつては上京区出雲路にあったが、応仁の乱で廃絶。公海僧正が寛文5年(1665)にこの地に復興し、後西天皇の皇子が入寺して門跡寺院となった。円山応挙作の鯉の絵や、狩野益信作の宸殿の障壁画など見るべきものが多い。また枝垂桜、紅葉も美しい。
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