貫一お宮の像
尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に登場する貫一とお宮。この2人が別れの場面を迎える海辺に、心変わりの許しを請うお宮と、それを足蹴にする貫一の姿の像が立っている。この愛憎物語の舞台は、今や恋人たちのラブスポットとなっている。
- 「熱海駅」から徒歩9分/「来宮駅」から徒歩17分
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尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に登場する貫一とお宮。この2人が別れの場面を迎える海辺に、心変わりの許しを請うお宮と、それを足蹴にする貫一の姿の像が立っている。この愛憎物語の舞台は、今や恋人たちのラブスポットとなっている。
国指定重要文化財。日本で唯一現存するドイツ人建築家ブルーノ・タウトの建造物。タウトが表現した日本の美を堪能できる。※熱海市公式サイト掲載の専用フォームからのみ事前予約制。詳しくは熱海市生涯学習課まで要問合せ。
来宮駅の南にある坪内逍遙[つぼうちしょうよう]の邸宅。屋敷は大正9年(1920)に建てられたもの。逍遙は、ここでシェークスピアの全訳を完成させた。建物は木造2階建ての日本家屋。庭先には名前の由来となった2本の柿の木と書斎がある。また、100m南の海蔵寺には逍遙夫妻の眠る墓がある。双柿舎の見学には身分証明書が必要。所要1時間。
明治12年(1879)に大井川に架けられた、現在では珍しい木造の橋。全長897.4m、通行幅2.4m。通行できるのは、歩行者と自転車のみ。通行には料金が必要となるため、別名賃取り橋とも呼ばれている。大井川の洪水の度に被害を受けており、昭和40年(1965)に橋脚をコンクリートで補強。平成9年(1997)には、世界一長い木造歩道橋としてギネスブックに認定された。
JR金谷駅の南にある東海道の難所として知られた金谷峠。文政年間(1818~29)、幕府の命令によって、近隣の村人が滑り止めの石を敷き詰めた歴史を持つ。平成3年(1991)には「町民一人一石運動」によって、消滅しかけた金谷坂の石畳430mが復元され、深々とした木立の中、当時を偲びながら風情ある旧東海道を歩けるようになった。また、JR金谷駅西方の旧菊川宿近くにある菊川坂でも江戸後期の石畳が発掘され、平成13年(2001)には町内外の人々の手によって611mの石畳が復元されている。
太閤通口からすぐの中央コンコースに立つ銀色の時計。新幹線改札口のすぐ目の前にあるので、遠方から来た人との待ち合わせにおすすめ。
大名、公家、幕府役人などが宿泊、休憩する施設を本陣といい、脇本陣とはその補助的旅舎。普段は旅籠屋を営み、大通行などで本陣の利用が重なった時に本陣の代わりをつとめた。この脇本陣は、旧東海道で唯一残された遺構を復元したもので、旧脇本陣「茗荷屋」の上段の間があった書院棟が残されている。舞坂宿は江戸から30番目の宿場で、東西交通を結ぶ今切渡しの渡船場であった。
奈良時代に全国に造られた国分寺の一つ。昭和26年(1951)に発掘され、東大寺を模した七堂伽藍を備えていたことがわかった。東西180m、南北253mの跡地には、金堂や講堂の礎石が点在し、史跡公園として開放されている。
慶長5年(1600)、徳川家康により、東海道の通行人を調べるために創設された関所。「入鉄砲[いりてっぽう]に出女[でおんな]」といわれ、鉄砲と女性は特に厳重な取り調べを受けた。江戸時代後期の建物が現存する全国で唯一の関所跡で、国の特別史跡に指定されている。
楽寿園の園内中央に位置する明治期建築の高床式数寄屋造の建物。係員の解説付きで公開している(中途の入退場不可)。野口幽谷[ゆうこく]や滝和亭[たきかてい]など明治期の大家による装飾絵画が、およそ210面にわたり、天井や襖に描かれている。見学には係員が30分コースで案内(1日6回、コース・時間は要問合せ)。
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