
国指定名勝 おくのほそ道の風景地 大垣船町川湊
松尾芭蕉が『奥の細道』の旅を終えた地で、この地で詠まれた句「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」を刻んだ蛤塚が建てられている。かつて大垣と桑名を結ぶ水運の拠点として栄えた船町港の跡地でもあり、水門川に浮かぶ舟と住吉燈台が往時を偲ばせてくれる。近くには「奥の細道むすびの地記念館」もあり、芭蕉と大垣の深い関わりを知ることができる。
- 「西大垣駅」から徒歩16分/「大垣駅」から徒歩22分
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松尾芭蕉が『奥の細道』の旅を終えた地で、この地で詠まれた句「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」を刻んだ蛤塚が建てられている。かつて大垣と桑名を結ぶ水運の拠点として栄えた船町港の跡地でもあり、水門川に浮かぶ舟と住吉燈台が往時を偲ばせてくれる。近くには「奥の細道むすびの地記念館」もあり、芭蕉と大垣の深い関わりを知ることができる。
関ケ原合戦の際、桃配山に本陣を布いた家康が戦の状況を見ながら陣を進め、最後に陣取ったのがこの場所。最大の激戦の場となった決戦地のすぐ近くで、家康は最後まで自軍を指揮した。
関ケ原駅から北西へ延びる街道沿いがかつての主戦場。向かって前方左手が石田方西軍の笹尾山、後方右手が徳川方東軍の桃配山[ももくばりやま]。戦死者を葬った首塚、各武将の陣跡なども点在する。
尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に登場する貫一とお宮。この2人が別れの場面を迎える海辺に、心変わりの許しを請うお宮と、それを足蹴にする貫一の姿の像が立っている。この愛憎物語の舞台は、今や恋人たちのラブスポットとなっている。
来宮駅の南にある坪内逍遙[つぼうちしょうよう]の邸宅。屋敷は大正9年(1920)に建てられたもの。逍遙は、ここでシェークスピアの全訳を完成させた。建物は木造2階建ての日本家屋。庭先には名前の由来となった2本の柿の木と書斎がある。また、100m南の海蔵寺には逍遙夫妻の眠る墓がある。双柿舎の見学には身分証明書が必要。所要1時間。
浮世絵師・歌川広重の出世作、『東海道五拾三次』の「蒲原夜之雪」で知られる宿場。宿内には江戸後期築の旅籠・和泉屋(現在はお休み処と鈴木たばこ店)をはじめ、大正時代築の洋館・旧五十嵐歯科医院など見どころいっぱい。
国指定重要文化財。日本で唯一現存するドイツ人建築家ブルーノ・タウトの建造物。タウトが表現した日本の美を堪能できる。※熱海市公式サイト掲載の専用フォームからのみ事前予約制。詳しくは熱海市生涯学習課まで要問合せ。
明治30年(1897)から6年間、読売新聞の「新小説」に掲載された尾崎紅葉の小説『金色夜叉』の舞台の一つとなったのが熱海の海岸。主人公の間貫一と鴫沢宮が熱海の海岸を散歩したという設定で、熱海サンビーチ沿いに立つお宮の松は、小説ゆかりの地のシンボルといえる。現在の松は2代目で、すぐそばには初代の松の幹の輪切りと、別れの場面を表現した「貫一・お宮の像」や「金色夜叉の碑」、「尾崎紅葉記念碑」がある。毎年1月半ばには、お宮の松前で「尾崎紅葉祭」が開催されている。
熱海駅前には明治末期から大正にかけて活躍した、熱海鉄道の蒸気機関車の車両が見られる。通称「ベンケイ号」と呼ばれ親しまれた。昭和51年(1976)に旧国鉄より「七号機関車」という名称で準鉄道記念物第1号に指定された。
非公開の岩崎邸、現存しない住友邸と並び、「熱海の三大別荘」といわれた名邸。日本家屋の母屋と離れは大正後期、洋館と広大な庭園は昭和初期に造られたもので、熱海市有形文化財に指定されている。戦後は旅館として賑わい、太宰治ら多くの文化人も投宿した。現在は熱海市の所有となり一般公開されている。館内にはゆかりの文豪たちの資料展示室や喫茶室もある。所要40分。
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